2012年9月14日金曜日

及川廣信+千野秀一@間島秀徳展



間島秀徳展KINESIS──時空の基軸

── 第一夜:及川廣信千野秀一 ──

日時: 2012年7月5日(木)
会場: 東京/明大前「キッド・アイラック・アート・ホール」
(東京都世田谷区松原2-43-11)
開場: 7:00p.m.,開演: 7:30p.m.
料金/前売: ¥2,000、当日: ¥2,500
学生: ¥1,500、通し券: ¥10,000

【出演】
及川廣信(dance)
千野秀一(sounds)



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 間島秀徳KINESIS──時空の基軸」の初日は、マイム/パントマイムを通してダンスの起源に迫ろうとしてきた及川廣信のパフォーマンスと、ベルリンから一時帰国したピアニスト千野秀一が、パソコンを使ったエレクトロニクス演奏や、大正琴をたたいたり弓奏したりして出される物音でサウンド構成するステージだった。長い友人関係にあるふたりではあるが、共演はこれが初めてとのこと。近代になって発展してきたダンスの形態も、いまでは100人のダンサーがいれば100のスタイルがあるといわれるくらい、多様なあり方をみせているようである。周知のように、この多様化の現状は、ダンスだけでなくすべてのことにわたっていて、かつて前衛によって担われてきた即興演奏も、いまではおなじような拡散状態にある。ところが、マイム研究やアルトー研究を通して語られる及川の主張は、身体の動きには、模倣によって得られる普遍的な「原型」のようなものが存在し、その型を生きなおすことで、私たちはいついかなるときも、日常性を脱した身体のリアルな実相に遡行することができるというものである。KINESIS 展初日におけるパフォーマンスを見ても、及川のダンスには、たしかに固有の表現に解消できない型の背骨があるように感じられた。

 パフォーマンスの全体的な構成はしっかりとしたものだった。右手を高く投げあげ、天井を見あげながら KINESIS 479番「潜水夫の目」に寄りかかるという姿勢からスタートし、最後におなじ姿勢をとったところで暗転が訪れるという「ソナタ形式」、あるいは、始まりが終わりにつながり、終わりが始まりにつながるという時間のループ状態が、及川がダンスで語ろうとした物語である。パフォーマンスは前後半にわかれ、前半では、黒い背広の上下を着用した及川が、千野のエレクトロニクス演奏をバックに、まるで知らない場所に迷いこんでしまったかのように、落ち着きなく、比較的スピードをもった動きで、二本の柱の周囲をぐるぐると回りながら、雰囲気のある、大柄な体格にぴったりのダイナミックな動作をしていく。上着を脱ぎ、ライトがモアレ状の瞬きをはじめたところで、小クライマックスのムードがかき立てられる。千野の演奏もテンションをあげ、ステージ中央で及川が両手を高く差しあげたところで、音楽がストップ。そこから身体を床に横たえ、さまざまに手足を入れ替えながら、靴を脱ぎ、黒いズボンを脱ぐと、白い作業着のような姿になるのだが、これが中間部のブリッジ部分である。用意万端整ったところで、千野が大正琴を使った物音(生のノイズ音)の演奏を開始する。前半よりもずっとゆっくりとした後半の動き。このムード変化に千野が選択したサウンドは見事にはまっていた。予想外の出来事は、すべてがつつがなく終わるかに見えたダンス終了後に訪れた。

 パフォーマンス冒頭の姿勢に戻って、右手を高く投げあげ、天井を見あげながら円柱に寄りかかったままじっとしている及川を尻目に、千野秀一は演奏をそのままつづけた。ここまで段取りに従ってサウンドを提供してきた千野が、まだ自分の演奏をしていないことはたしかだった。また他の日の公演とおなじように、一時間パフォーマンスのルールがあったとしたら、及川のダンスは少し早めに終わっていた。そうしたダンスが終了したあとの余白の時間を使って、暗転していくステージにもお構いなしに、千野のノイズ演奏は、暗闇のなかで延々とつづいていったのである。もし千野がアコースティック楽器を手にしていたら、暗闇での演奏は不可能だったかもしれないが、このときはパソコン画面を光源にして、じゅうぶんに演奏が可能だったのだろうと想像される。暗闇のなかで、視覚を奪われ、聴覚だけになった観客たちは、ダンサーのいない音楽の王国に招待されたのである。この予想外の出来事もまた、ダンスと即興演奏の共演においては、ほんとうは終わりがふたつ(以上)あることの、かなり露骨なあらわれと思う。もういちど確認すれば、ダンス作品を作りあげるというのではなく、あくまでも即興演奏をしようとするのであれば、何度も共演を重ねて相手の呼吸が飲みこめるようにでもならないかぎり、この種の葛藤は消すことができない。

 もうひとつ及川廣信のパフォーマンスで印象深かったのが、KINESIS の円柱に対するその触れ方だった。三夜目に登場した舞踏家の田辺知美も、触れることを知ることに結びつける KINESIS 表層への対し方をしていたのだが、及川にとって触れることは、それとはまったく別の行為だった。というのも、二本の円柱の周囲を回りながら、あるいはその間をヨロヨロとあちらにゆきこちらに戻りしながら、及川の手は、旧友に出会ったときのように円柱に手を伸ばし、その肩を抱き、腰に手を回すかのようにして、いとおしそうに作品の表面に触れたからである。それはおそらく、視線を乱反射させる KINESIS という、容易に征服しがたいものに対する語りかけではなく、目の前にそびえる円柱を擬人化する身ぶりであったように思う。あえて言うならば、KINESIS の磁場に対してなれなれしくふるまうこと、すなわち、ある種の人間化をおこなうことで作品を脱魔術化しようとしたのではないかと思われる。母親が傷ついた子どもを癒す場面をみるだけで、触れることが、それだけで「魔術」と呼ばれるような側面をもった行為だということがわかる。見ることにとどまるのではなく、触れることによって、私たちはそこになにか決定的な変化をもたらすことができる。視覚の魔術を触覚の魔術によって脱構築すること。それが及川の場合、ある種の西欧的な人文主義につながっているのではないかと思われるが、このことはあくまでも私の個人的な想像の域を出ない。



※本エントリーは、間島秀徳展「KINESIS──時空の基軸」のうち、さきにおこなった7月7日から11日までの公演レヴューと異なり、坂田洋一氏撮影の記録映像を見ることで書かれたものです。二本の円柱の間、ホールの出入り口付近、床面に近くに設置されたビデオは、下から見あげるアングル固定でダンサーの動きを追っています。

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