2012年9月15日土曜日

高原朝彦池上秀夫: 熊の四谷茶会




高原朝彦池上秀夫 DUO

日時: 2012年9月12日(木)
会場: 東京/新宿「喫茶茶会記」
(東京都新宿区大京町2-4 1F)
開場: 7:00p.m.、開演: 7:30p.m.
料金: ¥2,000(飲物付)
出演: 高原朝彦(10string guitar)
池上秀夫(contrabass)
予約・問合せ: TEL.03-3351-7904(喫茶茶会記)



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 阿佐ヶ谷にある名曲喫茶ヴィオロンを拠点に、10弦ギターの高原朝彦とコントラバスの池上秀夫が、公演ごとに第三のゲストを迎えるライヴシリーズは、出発当初の「The熊さん楽団」から「Bears'Factory」へとネーミングを変えながら、ほぼ10年にわたって継続されてきた。この期間に親の介護があった高原にとって、おそらくこの10年は簡単に語れるような年月ではなかったはずである。その意味では、この期間、高原に寄り添った池上の存在にも、音楽活動にかぎられない特別なものがあるに違いない。いっしょに活動しながら滅多にデュオ演奏しなかったのも、偶然にそうなっただけではないような気がする。そんなふたりが、昨年、ドラマーの長沢哲が江古田フライングティーポットで主催している「Fragments」シリーズに招かれたとき、ふたりだけで演奏した結果がよかったところから、新たにスタートする喫茶茶会記のプログラムのなかで再度デュオを組んだというのが、この日の趣向であった。即興演奏するデュオのなかでも、富樫雅彦とスティーヴ・レイシー(ともに故人)にせよ、秋山徹次と中村としまるにせよ、ジャズだとか即興だとかが、もはやさしたる問題にならない関係というものがあるが、高原-池上の関係にはそれ以上のものがあるらしく、「高原朝彦池上秀夫」という、名前の間に、空白も、中黒も、「」も「+」も置かないフライヤーデザインで、自分たちがデュオ以上の音楽キメラ(「双頭の熊」と呼びたい)であることを宣言している。

 求める音響世界がくっきりと見えている高原の10弦ギターと、どんな音楽に対しても対応可能なポリグロットの言語力を身につけている池上のコントラバスは、漫才でいう、ボケとツッコミの役どころがはっきりしていることで、安定的な関係のなかにおさまった演奏もじゅうぶんに可能のはずだが──そして実際に、少し油断すると、池上が受けに回る場面が連続してしまう──この晩のデュオ演奏では、瞬時に攻守を入れ替えながら、めまぐるしく音のキャッチボールをしていくという応酬がつづいた。それが個性のぶつかりあいというより、むしろ一体化した「音楽キメラ」と呼ぶべきサウンド複合体として聴こえたのは、滅多にしないデュオ演奏とはいえ、やはりそこに10年にわたる交流の分厚さがあるためだろう。池上のライフワークであるコントラバス独奏は、リダクショニズムの延長線上に発展させた彼独自の世界だが、そこでの演奏スタイルを、彼はこれまで、通常の即興セッションの枠内ではあまり使っていなかったように思われる。それが最近は、少しずつあちらこちらに顔を出すようになった。音響的なアプローチは、池上の守備範囲に新しい要素をつけ加え、おなじ弓奏をする場合でも、これまでにないアブストラクトな感覚、斬新な感覚を、サウンドのなかに盛りこむことになっている。デレク・ベイリーの言葉通り、まことにソロの探究こそは、いまも即興演奏の世界を広げ、かつ深める最良の方法ということであろう。

 前後半30分ずつのツーセット公演では、特別なデュオ演奏ならではの趣向もあった。前半では、演奏の最後の部分で、池上が簡単なパターンを反復するうえで高原がソロをとり、後半では、いったん即興演奏を終えてから、最後に、高原の古い曲「空と石のコラール」(1988年)のコード進行を使ってアドリブ演奏をした。阿佐ヶ谷ヴィオロンの即興セッションでも、高原が演奏中に楽曲を引用することはよくあるので、さほど奇異な感じを受けたわけではないが、それがあらかじめ構成のなかに織りこまれているというのは、私が知るかぎり初めてのことだった。もしかすると喫茶茶会記での演奏ということを意識したのかもしれない。高原の書く楽曲は、自然讃歌であるとともに、寂しがり屋でセンチメンタルな彼の感情を大皿に盛りつけたような趣きをもっており、ふたつの「S」(sky stone)に想を得た「空と石のコラール」も、透き通った静かな空気感のなかで激しいアドリブが展開するという、相反するふたつの感情がクロスするダイナミックな演奏となった。ギターを解体するかのような禁じ手だらけの即興演奏のなかに、こうした大衆性のある楽曲をさりげなくすべりこませるところに、このギタリストならではのバランス感覚がある。

 活動を開始してから10年という節目の時期に、「高原朝彦池上秀夫」のプログラムで演奏すること、これからそれぞれの企画が新たにスタートする直前の機会をとらえて、こんなふうにデュオのありようを再確認しておくことは、ふたりにとって欠くべからざる作業だったのではないかと思われる。日常的な暮らしのなかの演奏活動というのは、よほど規模の大きなステージでもないかぎり、演奏者側も、聴き手の側も、その地点を通過することが、昨日と違う明日を生きることを意味する通過儀礼になっていたとしても、そのことにしばしば気づかないまま通り過ぎてしまいがちである。あのときが重要な岐路だった、出会いだったということを、はるか後になって気づくことすらある。たくさんの要素が複雑に、重層的にからまりあう日常性のなかの活動だからこそ、より受信感度をあげ、重要な情報をきちんとキャッチできるような好位置に立てておかなくてはならない音楽アンテナというものがあるように思う。10年を経て、なおゆるむことのない Bears'Factory の演奏に、ミュージシャンとしての自負があることは言うまでもないが、ふたりにとって、おそらくこのライヴは、将来この場所に何度も立ち返ってくるような、これからの音楽的展開の重要な起点になるような予感がする。



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  「Bears' Factory vol.12 with 森 順治」(2012-03-27)
  「Bears' Factory Annex vol.5」(2012-02-27)
  「Bears' Factory vol.11」(2012-01-23)

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