2012年11月1日木曜日

Bears' Factory vol.16 with 蜂谷真紀



Bears' Factory vol.16
with 蜂谷真紀
日時: 2012年10月20日(土)
会場: 東京/阿佐ヶ谷「ヴィオロン」
(東京都杉並区阿佐谷北2-9-5)
開場: 7:00p.m.,開演: 7:30p.m.
料金: ¥1,000(飲物付)
出演: 蜂谷真紀(vo)
高原朝彦(10string guitar) 池上秀夫(contrabass)
問合せ: TEL.03-3336-6414(ヴィオロン)



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 高原朝彦と池上秀夫がコンビを組むベアーズ・ファクトリーの第16回公演は、池上のチョイスで、ヴォイスの蜂谷真紀をゲストに迎えた。蜂谷と高原はこれが初共演とのこと。周知のように、世界一人材が豊富といわれる日本の即興ヴォイスの世界において、蜂谷真紀はもっともさかんに活動しているパフォーマーのひとりだ。ジャズ的なノリのよさを持った歌手であるとともに、蜂谷ならではのドリーム・ワールドを彩るオリジナル曲に聴かれるように、言葉がもたらすイマジネーションの飛躍を好んで呼びこみながら、奇抜かつ豊穣な物語の世界を飛翔していくインプロを身上にしている。完全即興でおこなわれたこの晩のセッションでは、音響詩を思わせる意味不明の宇宙語で会話したり、拡張されたスキャット・ヴォーカルで歌ったり、ネジ巻きのついたコイル部分だけのオルゴールや澄んだ音を出す小型のベルなどの小物類、さらに会場のアップライトピアノを演奏した。ヴィオロンにふさわしい深紅の衣装をあつらえて、紅一点ならではの華やかさであったが、トリオ演奏の中心になったのは、ふたりの仲介役を務めた池上のコントラバスだったように思う。こんなふうに即興セッションのベースを形作る演奏において、さまざまなスタイルに通じている池上秀夫は、安定した実力を遺憾なく発揮してみせる。

 オルゴールを少しずつ回して、メロディーにならない可憐なサウンドを出しながら、まるで宇宙語で書かれた絵本を子どもに読み聞かせでもしているように、意味不明の言葉で物語をつづっていく蜂谷真紀のヴォイスと、蜂谷にぴったり寄り添いながら、点描的なサウンドを散りばめていく10弦ギターとコントラバス。前半のセットは、蜂谷が物語する絵本の世界が目の前に見えてくるような静かな雰囲気でスタートした。物語のなかには何人もの登場人物が出てくるらしく、蜂谷の声はさまざまにチェンジし、新たな抑揚を呼びこんでくる。変化のたびごと、弦楽のふたりは少しずつ音量をあげ、激しい動きを加えていく。ところどころで蜂谷が一息入れると、トリオ・インプロヴィゼーションにも区切れ目が訪れるが、そこまで高揚してきたサウンドは、上げ潮に乗った勢いで後戻りすることがない。ギター高音部で花火が爆発したように、キラキラとした音の砕片があたりに飛び散る。一気に加速度をつける高原ならではの手法だ。演奏に高潮が訪れ、いよいよ加速度を増した演奏に乗って、蜂谷のヴォイスはみごとなサウンド・サーフィンをしてみせる。いったん演奏がリセットされたあとに再スタートしたインタープレイは、より緊密にからまりあった複雑なものとなり、池上によるアルコの急速フレーズと、高原が奏でる典雅なルネサンスの曲とが並行して出現するという、息のあったこのデュオならではのアクロバチックな場面が、ごく自然に訪れたりした。

 ライヴの後半、途中休憩が入ったにもかかわらず、サウンドは気分しだいでいつでも燃えあがる熾火(おきび)の状態を保っていた。キラキラと音の砕片を撒き散らすアモフルな高原のサウンドと、反復的な蜂谷のヴォイスが同時進行するなか、三度目の再スタートでは、池上が前面に出てソロをとった。突然、なんの打ちあわせもなくやってくる沈黙と蜂谷の無伴奏ヴォイス。数十秒後、なにもなかったように再開される弦楽デュオの演奏。今度は高原がソロをとる。まるで「ジョン・ゾーンズ・コブラ」の一場面を見ているような息の合い方だ。次第に飽和していくトリオの演奏が、これまでのクライマックスにかわって一枚のサウンド・プラトーを構成していく。四度目の再スタートは、池上の無伴奏ソロからだった。ソロをとるコントラバスが、早いフレーズからゆっくりとしたオスティナートへ進行していくと、そこに蜂谷がロングトーンのヴォイスをかぶせ、演奏がもう一度持ちあがっていくと、蜂谷はこの日使うかどうか迷っていたピアノを、最後の最後に弾きはじめた。弦楽のふたりをとり残したまま、これまでの演奏とは一変したフリージャズのリズムとスピード、アタックに乗った即興ヴォイスがはじまる。共演者をふりまわしているようにも見えるが、こんなふうに橋の架からないところに橋を架けるイマジネーションのジャンプ力こそが、蜂谷真紀の真骨頂なのである。

 客席からの要望にこたえた短いアンコール演奏では、池上がソロ・パフォーマンスでしているミニマルなサウンド・アプローチの演奏を試していた。リダクショニズムの尾骶骨が、アンサンブルにダークな色彩感を与える。一般的に「マルチイディオム」といわれるが、多彩な、という以上に、ほとんどアナーキーな即興語法の相互乗り入れ状態が、ベアーズ・ファクトリーの特徴をなしているといえるだろうか。それが交通渋滞を引き起こさないのは、ひとえにデュオの相性のよさと共演歴の長さによるのであろう。サード・パーソンとして迎えられるゲストが、多彩な即興語法によってこうしたアナーキーさに拍車をかけ、通常の即興セッションを逸脱していったところに、新たな音楽的冒険がはじまるのかもしれない。この点、蜂谷真紀は恰好の共演者だったと思うが、そればかりではなく、彼女の場合、ベアーズ・ファクトリーにないイマジネーションの飛躍(あるいは切断)という強力な武器をたずさえている。おそらくはこの飛躍/切断こそが、現在私たちが置かれているインプロヴィゼーションの多言語状態が自家中毒に陥ることを回避させ、彼方にはさらなる高峰があるということを教えるのではないだろうか。



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