2011年9月22日木曜日

デヴィッド・シルヴィアン──Blemish と Manafon の間3

デヴィッド・シルヴィアン『ブレミッシュ』

デヴィッド・シルヴィアン『マナフォン』




 解説には明記されていないので、これはあくまでも推測になるが、『マナフォン』を解読するために高橋健太郎が参照した音楽を、ベイリー解釈に大きなバイアスをかけることになった言葉から推測することができるように思う。そのキーワードのひとつが「無調のインプロヴィゼーション」の「無調」である。もう少し先には、こんな文章も読まれる。「もしそこで、シルヴィアンのヴォーカルがもっと語りに近いものだったら、この作品は音楽の外側にある美しさ(ある意味、それは分かりやすい)を獲得していたのではないかと思う。」(高橋健太郎『Manafon』解説4頁)

 この「語りに近いもの」と「無調」の交差する地点にあるのは、おそらくシュプレッヒ・シュティンメ(「話すような声」の意味)という歌唱法で知られるシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」であろう。音楽は別のものでも、ある種の酷薄さと前衛性、静謐な美的空間の提示といった点が、たしかに似ていなくもない。

 さらに、ここで「音楽の外側にある美しさ」という言い方で書き手が示唆しているものが「音響」であることも、間違いないように思われる。こちらの言葉のほうは、暗に示唆されているというより、むしろ『マナフォン』に参加したプレイヤーを見れば容易に想像できるものであるところから、書き手が意図的に避けたのであろう。すなわち、「音響」「音響派」という言葉を使用するだけで、ある種の概念的混乱を呼びこんだり、すでに手垢のついたイメージを呼びこんでしまうために、プロの書き手である高橋は、この言葉が使えなかったのだ。

 ここでいくつかの参照事項を加えて書いてみれば、『マナフォン』の音楽は、無調をキーワードに「月に憑かれたピエロ」の方向にいくこともできたし、音響セッションにおもむくこともできたはずだが、結果的に、先行するどちらのモデルにもはまりこむことがなかった。それはプロ・トゥールズによって編みあげられた音響地図/感覚地図にパリンプセストされたデヴィッド・シルヴィアンの伝統的な声のさまが、周囲のサウンドを裏切りつづけていることによる。おそらくそういうことではないだろうか。聴き手は、作品を独自なものにしているシルヴィアンの声の戦略を、読解する必要があるのである。それが彼の声を聴くということだから。

 『ブレミッシュ』に収録されたデレク・ベイリーとの “共演” は、ギターの生み出す不均衡なリズムや飛躍するサウンドの連結と、架空の対話を交わしたものである。そこに前景化されているのは、もちろん「無調」とか「音響」といったものではなく、ましてや「あらゆる音楽イディオムから逸脱し続けるベイリーの演奏」による「歌の伴奏」などといった、矛盾するふたつのものを棄揚する作業でもない。聴いてわかるように、端的にふたつのラインが並び立つような語りの平行関係なのである。

 「The Good Son」「She Is Not」「How Little We Need To Be Happy」の三曲において、ベイリーはベイリー固有のラインをたどりつづけ、シルヴィアンはシルヴィアン固有の物語を語りながら、突如として変化するスピードに同調したり、ひとつのシークエンスの先端と末端を合わせたりずらせたりすることで、大雑把な対応関係を描き出している。即興演奏とのタイミングを合わせることが問題なのではなく、距離を保って並走することがテーマになったような演奏といったらいいだろうか。

 初めてのソロ・アルバムにおいてデレク・ベイリーのソロを引用するということは、即興演奏との共演という技術的問題を越えた、自画像の提示であることは言うまでもない。これらの演奏において、デヴィッド・シルヴィアンは、人は音楽においてどのように個であることができるのかということを問うている。私にはそれが、ベイリーがフリー・インプロヴィゼーションを理論化する際に示した、<セルフ>という新たな演奏者のアイデンティティーの獲得と、決して無関係ではないように思われるのだが、作品論の枠組をはずれてしまうので、ここでは割愛する。

 こうしてみると、『マナフォン』が『ブレミッシュ』の延長線上には出現しないアルバムであり、ふたつの作品の間に、ある種の切断が横たわっていることが見えてくるのではないだろうか。エヴァン・パーカーやキース・ロウやヴェルナー・ダーフェルデッカーや大友良英や秋山徹次の演奏に重ねられるシルヴィアンの声が、決してデレク・ベイリーとのデュオ(架空であっても、それは間違いなくデュオ演奏としてイメージされている)のようにならないことには明確な理由があり、シルヴィアンの声は、そのような即興演奏の現状に対する解釈(批評)になっているのである。■


[初出:mixi 2010-04-26「Blemish と Manafon の間」]

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■ David Sylvian http://www.davidsylvian.com/