2011年9月24日土曜日

ESP(本)応援祭 第八回

本講座の講師である泉秀樹氏とイベント主催者の渡邊未帆氏

 7月25日に開催された吉祥寺ズミのシリーズ講演「ESP(本)応援祭」の第八回は、大御所サン・ラーの特集だった。ESP で知名度を高めることになったサン・ラーは、自分で録音機を所有し、ステージ・パフォーマンスはもちろんのこと、御大の説教が長々とくりひろげられるリハーサルの記録を録りつづけ、さらには録音機を操作してエレクトリックな響きの変調まで試みるようなメディア人間だった。

 テープに残される音響に深く執着した結果、サン・ラーの独立レーベル “サターン” その他のレコード会社からリリースされたタイトルは、なんと数百の単位にのぼることとなり、その奇矯な言動ともあいまって、サン・ラーの活動の全貌をつかむには、いまだあまりに謎があふれているといった状態になっている。「ESP(本)応援祭」では、最初期の録音からESP時代までを概観するという紹介的なものにとどめられた。

 かけられたアルバムは、以下の通り。

(1)『Sun Ra and his Arkestra featuring Stuff Smith』(Saturn, 1953年)
(2)ビリー・バング『A Tribute to Stuff Smith』(Soul Note, 1992年9月)
(3)サン・ラー『Jazz by Sun Ra』(Transition, 1956年7月)
(4)サン・ラー『Angels & Demons at Play』
                    (Saturn, 1956年2月/1960年6月)
(5)サン・ラー『The Futuristic Sounds of Sun Ra』(Savoy、1961年10月)
(6)サン・ラー『Featuring Pharoaoh Sanders anf Black Harald』
                    (Saturn, 1964年12月)
(7)サン・ラー『The Heliocentric Worlds of Sun Ra Volume 1』
                    (ESP 1014, 1965年4月)
(8)サン・ラー『The Magic City』(Saturn, 1965年9月)
(9)サン・ラー『The Heliocentric Worlds of Sun Ra Volume 2』
                    (ESP 1017, 1965年11月)
(10)V.A.『Batman And Bobin』(1966年)
(11)サン・ラー『Nothing Is...』(ESP 1045、1966年5月)
(12)サン・ラー『Strange Strings』(Saturn、1966年)
(13)サン・ラー『Monorails and Satellites』(Saturn、1966年)
(14)サン・ラー『Atlantis』(Saturn、1967年-68年)
(15)リロイ・ジョーンズ『A Black Mass』(Jihad、1968年)

 前半の中心になったのは、サン・ラーの使用した数々の電気楽器群で、これはモンド風味を加味したキッチュな宇宙サウンドが簡単に作りだせるという利点もあるが、それ以上に、これまで演奏したことのない楽器を(練習なしで)演奏するところに、新たな音のフェイズを発見するというビジョンを持っていたサン・ラーが、アーケストラのメンバーにこの課題を課すだけでなく、彼自身をもまっさらで演奏に取り組まざるをえなくなる場所に追いこむために、採用されていたもののようである。

 ジャズや即興演奏に使われる習慣のなかった数々の電気楽器群は、ジャズそのものを大きく異化することになったが、それは、当時よくいわれた「音楽革命」というより、サン・ラーの音楽的嗜癖の結果だったといえるだろう。一大産業に成長しつつあったロック音楽という歴史的背景も一方にあり、マイルス・デイヴィスにせよオーネット・コールマンにせよ、一度は対決を余儀なくされた電化サウンドに、サン・ラーは、最も早い時期に、人一倍の好奇心をもって接近し、彼ならではの演奏原理に従って、楽器を個性化したと評価できるように思う。

 サン・ラーがサン・ラーであるゆえんは、マイルスやオーネットのように、電化サウンドを固有の美学のなかでコントロールしようとしたところにはなく、ジャズであれ黒人歌謡であれ、前衛音楽であれ伝統音楽であれ、それがこれまで所属していた文脈を切断し、サン・ラー・ワールドへの再統合を試みることによって、いまだ見ぬものの方向(この世のものではない、無限遠点に輝いて見える星座群の世界)へと限りなく解体させていくツールとして使用したところにある。

 それを実現させることになったのは、楽曲という構造的なものへの注目ではなく、サン・ラーならではの──それもまた「個性」というなら「個性」といえるような特徴をもつ──サウンドそのものへの(淫微な)嗜癖だったのではないかと思われる。活動の最初期はともかく、もともと音楽的なるものをコンパクトな楽曲にまとめるという発想がないために、演奏は必然的に長いものとなり(あるいは断片の集積となり)、録音機はつねに回転している状態となり、聴いているものも、いったいどこを聴いたらいいのか路頭に迷うこととなる。

 講義の後半の中心になったのは、こうしたサン・ラーの活動が必然的に導き出す演奏の多焦点性であった。ストリングスと共演した『Strange Strings』、極めてオーソドックスなピアノ・ソロが収録されている『Monorails and Satellites』、オラトゥンジが創設した文化センターで荒々しいキーボード演奏を展開した『Atlantis』、そして黒人運動とジャズを結びつける理論的支柱だったリロイ・ジョーンズの戯曲作品『黒人大衆』の劇伴など、本来なら、どれもが熟読玩味を要する内容のものだが、時間の制約から、大急ぎでその一端を聴くにとどまった。

 講義の最後に、講師の泉氏は、サン・ラーのエジプト・ツアーについて触れ、これが前期サン・ラーの転機になったのではないかと述べた。まことに研究すべき課題は多いというべきだろう。■
























[初出:mixi 2011-07-25「ESP(本)応援祭 第八回」]

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