2011年9月27日火曜日

小窓ノ王:Tension



小窓ノ王
 『TENSION』
(Koya Records, KOYA-108002)
 曲目:1. 独標 Doppyou(8:10) 2. 蜘蛛と花 A Spider and a Flower(4:30)
3. 坂 Slope(5:06) 4. オコジョ Ermine(5:48) 5. あぜ道 Footpath(7:22)
6. 足跡 Footprints(5:59) 7. Shichi Seven(8:07)
8. ペテン師△#18  A Swindler△#18(4:03)*Bonus Track
 演奏:航(p, vo)、植村昌弘(ds)
 録音:2010年9月25日
 場所:東京/池袋「Studio Dede」
エンジニア:松下真也
美術 デザイン:モモチョッキリ
 発売:2011年8月1日


♬♬♬


[小窓ノ王は]立ち入り禁止地区にあるピークなので、そこで遭難しても誰も助けにきてくれないような所なんです。だけどものすごく綺麗な所で。このユニットは私にとって、そういう、行きたいけどなかなか行けない、見たいけどめったに見れない、だからこそ素晴らしいものが待ってる場所なんですよね。そしてそこには、残念ながら自分一人では絶対に行けないんです。
(小窓ノ王『Tension』ライナーノートから)

 ユニット名の由来となった北アルプスの剣岳にある懸崖について、シンガー・ソングライターの航は、こんなふうに述べている。声がピアノに触発され、ピアノが声に触発されるという、どちらがどちらとも切り離すことのできない密接な関係、意味と音が離れたりくっついたりして聴き手を迷路に迷わせる言葉の遊戯性、声がもたらすイマジネーションの即興的な飛躍や逸脱、あるいは容赦のない切断、ミニマルな音への執着──神は細部に宿る? というにしては、ふたりでもあわせることがむずかしい音のサイズや間尺を(もちろん猛練習のすえに)ピタリとあわせ、まるでわざとのように懸崖をわたっていこうとするライヴな登山家の冒険心(だって、そこに山があるからさ)、準備万端をととのえた登山はいつも成功し、もたらされた達成感は大きい。

 そこは、ものすごく綺麗な所。自由奔放に大空を飛びまわる航のヴォイスが、大地から生まれた草木のような、農作物のような歌を歌うのではなく、孤独で、遠い懸崖に反射するこだまのような趣きをそなえているのは、偶然ではない。大地に縛られてきたジャズやワールド・ミュージックにはなかった清冽な解放感──それが航のもっているヴォイスの本質であり、サウンドの細部を描き出すのに、精妙な色あいを正確無比に塗りわけていくことのできる植村昌弘と結成したデュオ「小窓ノ王」が描き出す世界なのではないだろうか。

 航のヴォイスをノマドの声と呼び、小窓ノ王の演奏をノマドの音楽と呼んでみたい。おなじノマド(遊牧民)といっても、こちらはモンゴルの大草原をゆくノマドではなく、北アルプス連峰を跋扈する天狗、山伏の類がイメージされることが、特徴的といえるだろうか。小窓ノ王の音楽は、ミクロなサウンドに執着する植村の求心性だけでなく、もっと大きな「行きたいけどなかなか行けない」場所、「見たいけどめったに見れない」風景、「素晴らしいものが待ってる場所」など、「ものすごく綺麗な所」にどうしても感応せずにはいられない航のヴィジョンによって貫かれている。地上を離れ、少しずつ神の領域へと近づいていくその場所では、なにが起こっても不思議ではない。じつは、音楽のすべては、航のこの感応力に導かれて進んでいるのである。聴き手は、あなたは、途中でこの登山を降りることはできない。

 歌の系譜、声の系譜のことを持ち出していうなら、彼女は一時期ジャズに接近していた矢野顕子の後に出現した個性であり、そこで達成されたすべてのことを自家薬籠中のものにした表現者と言えるのではないかと思う。もし両者に違いがあるとしたら、矢野顕子がつねに日常性のなかから声を発していたのにくらべ、航は日常性を越えた彼方にそびえたって見える「小窓ノ王」に声を投げかけつづけているということだろう。



北アルプスの剣岳にある懸崖「小窓ノ王」

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■ Koya Records[航] http://koh.main.jp/main.html