2011年9月10日土曜日

副島輝人の real 60's

写真は左から副島輝人、主催者であるアルシーヴ社の佐藤真、泉秀樹


 やや旧聞に属するのだが、6月19日(日)、吉祥寺サウンド・カフェ・ズミで、新たなトークライブ・シリーズ<real 60's──オーガナイザーの60年代>がスタート、記念すべき第一回に、ジャズ評論家の副島輝人が招かれた。日本のヌーベルバーグや日本のニュージャズとともに歩んだみずからの60年代、70年代と重ねあわせながら、現場で同時代を切り開いてきたプロデューサーのリアルな証言の数々によって、毎日のように新しいことが起こっていた激動の時代の一側面を切りとってみせた。

 現在、渋谷アップリンクで、メールス国際ニュージャズ祭の記録映像を上映中の副島輝人が、最初は、映画批評を志す文学青年としてスタートした経歴の持ち主だということは、意外に知られていないように思う。蔦屋重三郎(浮世絵)、ドン・キング(ボクシング)、ヨアヒム・ベーレント(ジャズ)──そしていわずもがなの話ではあるが、副島の盟友であり、メールス祭のプロデューサーをしていたブーカルト・ヘネンにも言及されるべきだろう──などの名前を出しながら、副島自身が「仕掛人」と呼び変えてみせるオーガナイザー像は、疑いもなく、世界に新たな価値をもたらす時代の変革者のことであり、狭い音楽業界の歯車になるというような社会的な意味づけを越えて、広く文化状況一般にコミットする創造的な作業をなすものとしてイメージされている。

 映画から音楽へと転戦した批評の道のりは、視覚に訴える映像的な鮮烈さや、平岡正明とはまた違った疾走感などとなって文体に刻印されるとともに、メールスのジャズ祭を8mmフィルムに収録するという地道な活動や、日本人ミュージシャンの海外紹介など、言葉による出来事へのかかわりにとどまらない、行動する批評家という独自のスタンスを作りあげるのに貢献したのではないかと思われる。

 60年代末からスタートした日本のニュージャズとのかかわりでは、ときに音楽の枠組を逸脱し、脱ジャンル的に指向された現場での即興行為を、文化表現の原点を掘り出すような「精神の暴力性をもった音楽」と位置づけ、さまざまな既成概念を解体する前衛表現によって、<日本、日本人、日本文化とは何か?>という本質論を問うたものと総括した。

 童謡をジャズ化した山下洋輔の『砂山』、宮沢賢治をテーマにした佐藤允彦の『マグノリアの木』、自然との交感をテーマにした富樫雅彦の『スピリチュアル・ネイチャー』、阿部薫のメロディーにあらわれる日本的情緒性、広くアジアへとイメージを広げる高木元輝の「石仏」、そして高木が吉沢元治と共作した「ドミソ汁」(ドミソシる)といった演奏に見え隠れするこうしたテーマに副島が読みとるのは、インターナショナルな場で語り直される日本的なるものの再定義ということのようである。それは本質論のようでありながら、実のところ、永遠の日本といった伝統への依拠ではなく、日本的な風景でさえも、つねに語り直されることによってしか現代的な生命を獲得することができない文化的構築物であるということを指し示している。

 福島の原発震災を受けた<災後>の時代は、まずなによりも、思想的・文化的に、原爆投下から始まる戦後日本の決定的敗北と受けとめられており、ここで語られたことが、そうした精神状況にある新旧の世代によってどのように再評価され、またどのような語り直しを受けるのかが、高度経済成長期にあった60年代的価値の問いなおしと直結していくように思われる。それはカフェ・ズミが次世代への伝承を宣言しているニュージャズ/フリージャズの総括にもつながっていかざるを得ないだろう。■






[初出:mixi 2011-06-20「副島輝人の real 60's」]