2024年7月12日金曜日

第16回シアターX国際舞台芸術祭2024[15日目]: 八木昭子/阿部友紀子/松永茂子

 


第16回シアターX国際舞台芸術祭2024
「地球惑星人として、いま」

【15日目】



八木昭子

『ロッカバイ』

"Rockaby"

作: サミュエル・ベケット


阿部友紀子

『倉庫の明かり

"Warehouse Lights"

詩: 中島隆志


松永茂子

『水をまたいで…

"stepping over a puddle"

音楽編集・装置: 中村 博


日時:2024年7月11日(木)

開場: 6:30p.m.、開演: 7:00p.m.

会場: 両国シアターX

(東京都墨田区両国2-10-14|tel.03-5624-1181)

料金: 前売り/当日: ¥1,000

舞台監督: 宇佐美雅司

照明: 曽我 傑、宇野敦子

音響: 柏 環樹、鳥居慎吾、川村和央

主催: シアターX



 『ゴドーを待ちながら』(1954年)におけるサミュエル・ベケットの言語戦略は、物語の終わりをあるように見せかけながら永遠に引き伸ばすというものだった。ゴドーは観客の期待を掻き立てながら、姿を見せることがない。そのはるか後年、八木昭子が演じたベケット75歳の作品『ロッカバイ』(初演:1981年)では、死に瀕した老女が窓辺でロッキングチェアに揺れながら、そのものの訪れを待ち焦がれている。今度こそ「終わるときがきた」。終わることができる。そう、まるで幸福の訪れのように。老女は録音装置が自動再生する自分自身の声に応答するようにしてコーラスする。「もうそろそろやめていいころよ。」椅子を揺らす黒子の存在があり、俳優は能動的にふるまうことが一切なく、作品が終わり舞台からはけるときでさえ、黒子の介助によって退場した。徹底した受動性が死という表象不可能なものをその場に引き寄せる。もう演技はない。ただ身体だけがある。そして声だけが。前衛劇の前衛性が今もこのようなパフォーマンスを生むことに驚くばかりである。

 ここから石井みどり・折田克子に師事したダンサーの2作品がつづく。

 ホリゾントにある大きな搬入口を開放し、上手に裸電球のような灯りをともしたうら寂しいステージに登場する阿部友紀子の『倉庫の明かり』は、中島隆志の詩集『倉庫の明かり』(2023年、紫陽社)の世界を舞台化したもの。ステージ中央には箱馬が置かれ、ダンサーは詩の言葉を語りながら真紅の衣装で踊った。前半でゴム留めされた長髪は後半で解き放たれ、感情の爆発をともないながら鏡獅子のように振り乱されてドラマチックな瞬間を描き出していた。真紅の衣装が暗示する解放を求める情熱とは別に、ダンスは前半と後半と、上手前に進んでいこうとして後退するような、左右の足で立て膝をくりかえす特徴のある場面を反復することで、感情の爆発に水をさすような心理的な葛藤が表現されていた。

 最近になって吉本大輔のもとで舞踏を学んでいるという松永茂子の『水をまたいで…』は、頭に草を載せた円筒のかたわらに敷かれた本物の草のしとねに横になり(装置:中村 博)、とてもゆっくりとした速度を維持しながら左足をまっすぐにあげていく印象的な出だしを持っていた。美しい脚の流れは90°の角度でとどまると思いきや、さらに頭のうえへと伸びていき、やがて右足の動きがそのあとを追った。立ちあがってからは円筒を中心に踊りが進み、接近と後退をくりかえしたり、床に敷かれた草のうえに乗ってツイストするように踏みしめたり、円筒の周囲を左回りで歩いたり、ときにはすがりつくようにした。最後の場面は、両手に草を抱えてステージ前まで歩いたところで暗転となった。たしかにゆっくりと展開する冒頭部分にモダンダンスをはずれた舞踏的な方法論を感じたが、すべては形の美しさに帰結することが、舞踏とはまた別種のダンスを立ちあげたように思う。(北里義之)



【第16回シアターX国際舞台芸術祭2024|プログラム詳細】



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