Next Sunday presents
アコースティックとエレクトロニクスの室内楽
その12
日時: 2012年3月5日(月)
会場: 東京/阿佐ヶ谷「Next Sunday」
(杉並区阿佐谷南 1-35-23 第一横川ビルB1)
開場: 6:30p.m.、開演: 7:00p.m.
料金: ¥1,500+order
問合せ: TEL.03-3316-6799(Next Sunday)
出演
(1)SAWADA(snare drum)
(2)ガマチョキ・ブラザーズ
信岡勇人(g)平賀オラン康子(key)
井本直樹(bass guitar)大橋 弘 (ds)
(3)吉本裕美子(g) 安藤裕子(ss, cl) カノミ(as, g, fl, recorder)
池上秀夫(contrabass) 長沢 哲(ds)
(4)amamori(p, vo)
(5)Jacques Demierre(p) Jonas kocher(acc)
Cyril Bondi(perc) d'incise (electronics, objects)
♬
四重奏、三重奏
秋山徹次 - 原田光平 - 松本充明
Jacques Demierre - Jonas Kocher - Cyril Bondi - d'incise
日時: 2012年3月6日(火)
会場: 東京/新宿「喫茶茶会記」
(東京都新宿区大京町2-4 1F)
開場: 7:30p.m.、開演: 8:00p.m.
料金: ¥2,500(飲物付)
予約・問合せ: TEL.03-3351-7904(喫茶茶会記)
【第一部】
秋山徹次(g) 原田光平(g, electronics)
松本充明(prepared sitar)
【第二部】
Jacques Demierre(p) Jonas Kocher(acc)
Cyril Bondi(perc) d'incise(electronics, objects)
♬♬♬
スイスを拠点に活動するミュージシャンが臨時編成の即興グループで来日した。このメンバーでの録音もすませてはいるが、まだリリースされていない段階での来日という。カルテットのメンバーは、これが3度目の日本ツアーで、スイス・シーンで古くからその名前の知られるピアノ奏者ジャック・ドゥミエール、作曲家であり、ミッシェル・ドネダとの共演で知られるアコーディオン奏者ジョナス・コッシャー、そして “ディアトリーベ Diatribes” というグループ名で活動している打楽器のシリル・ボンディとエレクトロニクスのダンシスというカルテット編成で、ドゥミエール以外は初来日、メンバー紹介やCD物販は、ひときわ背の高いボンディが担当していて、今年の秋に来日予定の自分のグループのことも宣伝するなど、このグループに限らず、演奏活動の場を求めて積極的に仕事をこなしているようだった。おなじドラマーでは、“ラガーマン”(doubtmusic 沼田順の評言)ポール・ニルセン・ラヴにもそんな側面がある。スイス・カルテットの来日公演のうち、東京の阿佐ヶ谷「ネクスト・サンデー」、四谷の「喫茶茶会記」でおこなわれたライヴを聴いた。
いずれもエレクトロニクス用のアンプを使う以外は、完全アコースティックの演奏で、おたがいのミニマルな音に精神を集中しておこなうサウンド・インプロヴィゼーションを展開した。両日ともに対バンのあるワンステージ公演だったが、もうひとつ、喫茶茶会記では、サウンドチェック時の演奏も聴くことができた。対バンのミュージシャンも楽屋にいてそこにおらず、観客もいない状態でおこなわれた自己集中は、どこかミッシェル・ドネダの野外録音のようで、サウンドチェックの目的をはるかに越え、放置しておけばどこまでも深く自己に沈潜していってしまうディープ・リスニングな、ほとんど瞑想に近い状態にまで踏みこんでいた。私がプロデューサーであれば、そのような演奏は本番でするように止めに入らなくてはならないところである。従って、喫茶茶会記の公演は、実質的にはツーセットおこなわれたことになる。というのも、本番はこの演奏を前提にしていたからである。その場に初めて触れることを許されるという、ある聖別化された時間の経験を、彼らはサウンドを通しておこなっている。自己に深く沈潜しながら、同時にすべての音が聴こえている状態を「覚醒」というならば、喫茶茶会記は、そのような経験を彼らにもたらす特別な場になったといえるだろう。なかでもジャック・ドゥミエールは、壁に向けたアップライトピアノの位置から、メンバーの姿がまったく見えなかったせいで、視覚を奪われ、楽器の前でうつ伏せになるようにして、深い無意識へのジャンプをおこなっていた。
スイス・カルテットの即興演奏は、ジョナス・コッシャーのアコーディオン演奏に端的に見られるように、表現にいたる以前の段階できわどく押しとどめられたサウンド断片を、4人の共同作業によって、一枚のカラフルな布に織りあげていくようなアンサンブルを特徴としていた。サウンドチェック時のコッシャーは、指ならしのために軽やかなミュゼットを奏でていたが、サウンド・インプロヴィゼーションの方向性が明確に共有されているこのグループの演奏では、そのような表現的なアプローチは回避され、一般的に「即物的」と書かれるような、帰属する音楽ジャンルを持たない、独立したノイズを使用することになる。コッシャーがしている演奏──高音や低音のワンノートの持続、あるいはツーノートの持続、ジャバラをゆっくりと開閉して出される人の息のようなサウンド、鳥が羽ばたくように突然ジャバラをバタバタさせる動き、指でジャバラをこする動作というような、アコーディオンの製作者が想定していなかった楽器らしさの外側にある演奏法を新たに開発して、帰属不明のミクロなサウンドによる即興演奏をおこなうのである。この手法は、デレク・ベイリーが「ノン・イディオマティック」と呼んだ、解放された音のありようと同じものだろう。そこに生まれる雑多な音響のアンサンブルは、素人のサッカーのように、あるいはフリージャズのように、ボールが転がった方向に全員が走るというようなことはなく、ただすれ違っていくだけのものとしてあり、ソナタ形式とか起承転結のようなひとつの物語によって、演奏に全体性が与えられるようなことはまずない。そうではなく、似たような性格のサウンドをもうひとつのサウンドの近くに置くことで化学反応が起きる、というようなしかたで、演奏が進行していく。
しかしかそうでありながら、これはオーストリアでおなじ系統の音楽を演奏しているポールヴェクセル(ヴェルナー・ダーフェルデッカー、ブーカルト・シュタングル、ミヒャエル・モーザーなど)などにも言えることなのだが、それはほとんど作曲された作品のように聴こえる。ポールヴェクセルの場合、パソコン画面に演奏を同期させる数字を表示しながら、リズムもなく、また物語性を持つこともないため、全体性を欠くことになる音響演奏に、厳密な性格(あるいは必然的なもの、あるいは構造的なもの)を与えているのだが、このスイス・カルテットにおいても、ひとつのサウンドの終わりは、メンバーの誰かによって次のサウンドに引き取られていき、その一瞬をのがさずつかまえるために、各メンバーは共演者の演奏に全神経を集中させている。喫茶茶会記で聴かれたボンディのタムの連打のように、個々のミュージシャンに過剰なものに対する欲求がないわけではなく、いわば押さえこまれた状態にある。このようにして西ヨーロッパでは、即興演奏と現代音楽の狭間で、ある種の音楽形式が共同で探究されているということなのだろう。あたりまえといえばあたりまえなのだが、より個人の欲求に根ざした自由な演奏をしている日本の即興シーンとは、根底から文化の成り立ちが違う(優劣を言うのではない)のだということを強く感じさせられた。■
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NEXT SUNDAY
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喫茶茶会記