2012年3月30日金曜日

Tokyo Improvisers Orchestra


東京インプロヴァイザーズ・オーケストラ
Tokyo Improvisers Orchestra
日時: 2012年3月10日(土)
会場: 東京/浜田山「浜田山会館」
(東京都杉並区浜田山 1-36-3)
開場: 6:45p.m.、開演: 7:00p.m.
料金/予約: ¥2,000、当日: ¥2,500、学生: ¥1,500
スタッフ: 岡本正子 佐野友余 宝玉義彦
写真撮影: Leonardo Pellegatta
予約・問合せ: TEL.03-6804-6675(Team Can-On チームカノン)

TOKYO IMPROVISERS ORCHESTRA
【violin】阿部美緒 梶谷裕子 小塚 泰 高橋 暁
保科由貴 丸山明子 矢野礼子
【viola】田中景子 【cello】大沼深雪 橋下 歩
【contracello】岡本希輔 【contrabass】高杉晋太郎 Pearl Alexander
【篠笛】瀧田真奈美 【flute】Miya
【oboe, English horn】entee
【reeds】堀切信志 森 順治 Ricardo Tejero
【trumpet】横山祐太 【trombone】古池寿浩
【guitar】臼井康浩 細田茂美 吉本裕美子 【electronics】高橋英明
【sound scape】益田トッシュ 【percussion】松本ちはや 渡辺昭司
【percussion, voice】ノブナガケン 【voice】徳久ウィリアム 福岡ユタカ
【voice】蜂谷真紀 【piano】荻野 都 照内央晴
【dance】木野彩子 佐渡島明浩 【dance, voice】冨岡千幸
【朗読】永山亜紀子

[前半]第1指揮者:Miya 第2指揮者:entee/園丁
[後半]第3指揮者:蜂谷真紀 第4指揮者:Ricardo Tejero


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 文化庁が新進芸術家を選んで海外派遣する制度の2010年度派遣生に抜擢されたフルート奏者の Miya が、英国留学していた期間中に、現地の<ロンドン・インプロヴァイザーズ・オーケストラ>(略称:LIO)に参加したのがきっかけで、東京でも同種のオーケストラができないかと構想、コントラチェロを弾く岡本希輔の協力もあって、多くのミュージシャンに声をかけて実現したのが、この浜田山会館での自主公演が初舞台となった<東京インプロヴァイザーズ・オーケストラ>(略称:TIO)である。Miya と似たような経緯でLIOに参加したベルリン在住のサックス奏者アナ・カルーザが、みずから推進役となって一年半ほど前に結成された<ベルリン・インプロヴァイザーズ・オーケストラ>(略称:BerIO)が活動をはじめていたことも、大きなはげみになったかもしれない。集まったメンバーは、26歳から60歳までと複数の世代にわたり、日常的に東京のライヴシーンに触れているような音楽ファンにも、知った顔があり知らない顔がありという状態で、各プレイヤーがどういう即興をするのか、即興をどのように考えているのか、ハンドキューを使った即興オーケストラの方法にどこまで慣れているのかというような点は、まったくの未知数であった。周知のように、即興演奏というのは、多様であることが許されているだけで、それをすれば自由というわけでは必ずしもないからである。まして、今回の公演では、ジャンル横断という切り口による芸術の総合性も意図されていたようで、ダンサーやエレクトロニクス奏者、さらにはテクスト朗読者までがメンバーに名を連ねていた。

 時間軸を長いスパンでとれば、「即興」概念の成立以降にかぎっても、即興オーケストラの歴史は1960年代から連綿とつづいてきた。昨日今日にはじまったものではなく、詳細に論じれば、それだけで本が一冊書けてしまうような性格のものだ。しかしながら、出来事の核心にあるのは、その時々に人が集団性を求めるということ、それ自体だと思われる。オーケストラ形式が西欧市民社会の成立と不可分の関係にあるという起源にまでさかのぼったり、ジョン・ゾーンのコブラやブッチ・モリスのコンダクションなどと斬新さを競ったりするよりも大事なのは、これをいま私たちが暮らしている社会の欲求として受け止めることだと思われる。各都市で成立してきた即興オーケストラは、都市の名前をいただいていることでもわかるように、インターナショナルな国際性より、むしろその町に住む人々のダイレクトな声(あるいは声の直接性)という地域性をメルクマールにしている。もちろん、日常的に交流のない、雑多な人々が集まったオーケストラ集団の内部で、メンバー間の調整は不可避だろうが、それがいったん集団として表出されたときには、たとえ仮初めにそこに逗留していただけでも、この町を形作る草の根の声のひとつとなる。すなわち、「日本」のことをいうなら、それは制度的なナショナリズムに回収されない私たちの声のことであり、「東京」のことをいうなら、それは資本主義経済がもたらすネットワークシステムの別名でしかない無国籍性だとかグローバル性とは別の、原住民たちの声の集団性ということになるだろう。

 もうひとつ忘れてならないのは、TIOが3.11後の世界で求められた集団性であるという、日本の特殊事情だろう。これは震災や原発事故をどこまで自分の問題として考えているかで、とらえかたに差が生じると思うが、一般的に、原発事故のあとで広く求められたのが、新たなソーシャルメディアのネットワークであり、原発推進/脱原発のテーマをめぐって、ときには異質ともいうべき多種多様な人たちが話し合いの場をともにするということであったことを思えば、機能不全に陥ったことが明らかな間接民主主義を、どの点から解体/再構築するのであれ、私たちがまず必要としていたのは、そのためのよりどころとなるべき集団性の創出であったように思われる。たとえそこで民主主義の問題が論じられるわけではないとしても、ある集団性を構想することは、こうした3.11後の私たちの経験とどうしてもリンクしてしまう。ジャズのビッグバンドや即興オーケストラの伝統を離れた場所で、新たな集団性が立ちあげられたことは、むしろ日々の生活のなかにある音楽というような根っこに届いていないか。あるいは、原発国民投票が求められるような直接民主主義の行使に届いていないか。そんなふうに考えられるのではないかと思う。イタリアン・インスタービレ・オーケストラの結成に寄せて、オーネット・コールマンが贈った「サウンド・デモクラシー」の言葉を、ここで引きあいに出すこともできるだろう。

 浜田山会館で開かれた第一回のTIOコンサートは、休憩時間をはさみ、前後半各40分ほどの時間をさらに二分割し、前半は Miya と entee が、後半は、蜂谷真紀とリカルド・テヘロが順番に立って、ハンドキューによる指揮をおこなった。女 - 男 - 女 - 男という指揮者の性別も、世界原理として意識されていたかもしれない。コンサートの冒頭で、指揮者なしの集団即興がオーバーチュア的な前奏としておこなわれ、いわゆる「指揮される即興」を経由して演奏が人間の世界へとやってくる過程が描かれる。おそらくこれが、解説文において、「演奏は秩序と無秩序を自在に往来できる」と表現される構造の部分で、オーケストラの集団即興が描き出す混沌とした無秩序の世界に、指揮者の姿を借りたデミウルゴスが出現すると、秩序ある世界が出現するという物語性を、この晩のパフォーマンスに与えたと思う。指揮者のいない総勢39人の集団即興は、お互いの演奏を聴きあうためか、あるいはお互いに牽制しあうためか、細かいサウンドがひしめきあう大海原のような、茫漠としたサウンド・プラトーを創出した。コンサートを通していえることのひとつに、全員による演奏がクラスター的にはなっても、大きな交差点の真中に立っているような、フリージャズ的な喧噪状態にならなかったということがある。これは管楽器だけでなく弦楽器の数もじゅうぶんにあったこと、演奏者がジャズ出身者ばかりではなかったことなどが影響したに違いない。

 茫漠としたサウンド・プラトーをいったん制止して、ぶっ壊れたような細田茂美のガットギター・ソロを冒頭にすえた Miya のコンダクションは、ソリストによってリズムが出ることもあったが、最初に提示されたサウンド・プラトーの余韻を引きずって、クラスターが増幅したり、まるで十二単の着物を引きずるように緩慢に移動したりと、あたかも混沌に目鼻を描くような具合だった。つづく entee のコンダクションは、おそらくこの展開に強いコントラストを与えたいと思ったのだろう、大きな身振りでオーケストラを煽り立てたあと、返す刀で、永山亜紀子の朗読を生かした和の物語世界を展開してみせた。10分休憩のあと第二部のステージが開始、最初にメンバー紹介があった。そのあとで登場した蜂谷真紀のコンダクションは、それ自体がエレガントなパフォーマンスになっていた。ネジつきのオモチャを床に歩かせる冒頭や、途中で彼女自身のヴォイスを入れるなど、指揮者と演奏者を頻繁にスイッチする多重人格ぶりを示しながら、薄手の深紅のショールをひらめかせ、即興オーケストラから流れるような華麗さを引き出した。最後の指揮者として、LIOから迎えられたリカルド・テヘロが登場した。テヘロの指揮は、他のメンバーと少し性格が違い、音の集団性よりメンバー個人に焦点をあてながら、使用される音へのダメ出しも含むメンバーとの対話としてアンサンブルを構成していくものだった。正確にいうなら、これは指揮される即興というより、むしろコンポジション的な指揮だったといえるだろう。



※オーケストラ演奏中の写真はすべてレオナルド・ペレガッタ。 
 レオナルド・ペレガッタ Leonardo Pellegatta|1970年、イタリア・ミラノ生まれの写真家。1996年、" Fine Arts at the School of Visual Arts of New York" を卒業。97年よりプロとして活動。特にダンスや演劇で数多くの撮影をおこなう。2003年より活動拠点を東京に移してから『モノ・マガジン』『日本カメラ』などに作品を発表、読売新聞の記念キャンペーンなどの広告写真も手がける。イタリアのサーカスに関するドキュメンタリー映像と写真のプロジェクトがライフワーク。
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