spaceone・6つの夜
── 第三夜:役者がそろった!! ──
【キュレーター:田村夏樹・藤井郷子】
日時: 2012年7月3日(火)
会場: 東京/銀座「潦(にはたづみ)」
(東京都中央区銀座7-12-7 高松建設ビル1F)
開場: 7:00p.m.,開演: 7:30p.m.
料金: ¥2,000
出演: 坂田 明(as, cl, vo) 巻上公一(vo, uklele) 田村夏樹(tp, vo)
藤井郷子(トーク司会)
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プロジェクト spaceone 週間「6つの夜」の第三夜は、昨年doubtmusicから『平家物語』をリリースして、ライヴにおけるヴォイス・パフォーマンスにひとつの形を与えた坂田明、今年が第5回目の公演となる「JAZZ ART せんがわ2012」の開催が迫り、多忙な日々を過ごしているヴォイスの巻上公一(この日は口琴の他にウクレレなどを持参)、そして spaceone 設立メンバーのひとりであるトランペットの田村夏樹という、三役が揃い踏みしてのライヴとトークの夜「役者がそろった!!」が開催された。司会進行は藤井郷子。おりあしく音楽週間の三日目にして東京は雨となり、大きく開けた会場の窓の外を歩く人通りも少なかったが、この晩は、東京FMの長寿番組「トランスワールド・ミュージックウェイズ」(衛星放送のMUSICBIRDでもオンエアーされる)の田中美登里プロデューサーが、担当エンジニアをともなって取材に訪れ、演奏とトークを録音し、また終演後には spaceone の概要について藤井郷子に簡潔なインタヴューをおこなった。放送日は7月15日早朝とのこと。このトリオで演奏するのは初めてというライヴは、楽器演奏はもちろんのこと、三人三様に老練なヴォイスの使い手でもあるところから、演奏のいたるところに声のアンサンブルが出現するユニークなものとなった。声の突出は、藤井の声を加えた後半のトークへとつながっていき、ラジオ放送が意識されていたのか、慎重に言葉を選びながら、創造的な音楽における国内外の情報格差の問題を中心に議論が展開された。
雨の日の低気圧な空気に包まれて、あるいは助けられて、坂田明のサックスやクラリネットを中心に展開したセッションは、谷間の村に低くたちこめる霧のような時間、まったりとプールされた時間のなかでいつまでもユラユラとたゆたっているような印象だった。コード・プログレッションすることもなく、演奏が進むにつれて、静かに深い水の底へと沈んでいく。あるいは(妙な言い方になるが)どこまでも横へ横へと流れていく、追いかけてもとてもつかまるとは思えないような音の流れを作り出していた。この場所では、声帯を使った三者三様のヴォイスはもちろんのこと、リード楽器のメロディーも、トランペットの響きも、鈴や風鈴の音も、すべてが声のように響いていた。声を使った表現は山のようにあるだろうが、このトリオのように、アジア的なるものの基層に深く根をおろしていくことのできる表現者は、あるいは表現者たちのバイオリズムの交感は、他ではまず聴くことができないのではないかと思う。記号化された、素材としてのアジア、西欧が他者を名指すときのアジアではなく、即興演奏がモダニズムを指向しなくなったとき、おそらくは私たちの身体が媒介となって深く染められていく原色の世界といったようなもの。巻上公一のホーメイも、坂田明の平家物語や貝殻節も、田村夏樹の民謡指向も、すべてが形をなくし、バターのように溶けて混ざりあい、闇鍋のようなものとなっている。とりあえず「アジア的」と呼ぶしかないような、なんとも濃密な時間。
藤井郷子が司会進行を務めたトークセッションも、多岐の話題に富んだものだったが、議論の中心に据えられたのは、プロジェクト spaceone を立ちあげることになった危機意識と深く関係するテーマ、すなわち、透明化されているために一般的にはなかなか気づかれにくい国内外の情報格差の問題だった。これは3.11後に私たちが経験することになったマスメディアによる情報コントロールの様子をみれば、いちいちの説明は不要のように思われる。いまでは日本人の多くが知っている事実だろう。坂田明は、世界と日本の間には、日本海溝のような深い情報格差の溝が掘られていて、個人でならいくらでもそこを越えられても、巨大な日本の社会システムにおいては、すべての情報がそこでシャットアウトされてしまい、私たちの共有財産となることがない事態を強調していた。この日本海溝が大地震の震源地でもあるのは、しかし比喩としてあまりにもはまっていて象徴的だ。そうした格差構造のなかで、音楽も例外ではないということが、具体的な事例をもって語られていく。震災後にトゥバにおもむいた巻上公一が、文化大使として大統領と会談したことも日本ではまったく知られていないし、田村夫妻がラリー・オークスのグループでヨーロッパ公演したときに受けた「ジャズじゃない」クレーマーの出現と、それに対するウィントン・マルサリスがとった政治的なふるまいがどんなに海外のジャーナリズムをにぎわせても、日本にはまったく入ってこないなど、驚くような事実が報告された。■
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