2012年7月7日土曜日

spaceone・6つの夜|最終日



spaceone・6つの夜
── 第六夜:スペースワンが見えてきた?! ──
【キュレーター:松本健一】
日時: 2012年7月6日(金)
会場: 東京/銀座「潦(にはたづみ)
(東京都中央区銀座7-12-7 高松建設ビル1F)
開場: 7:00p.m.,開演: 7:30p.m.
料金: ¥2,000
出演: ポスポス大谷(voice, accordion, khomus)
上野洋子(voice, electronics)+morry burns(percussion, electronics)
「ブラジルの抽象画」助川太郎(g)+小澤敏也(percussion, vo)


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 プロジェクト spaceone のメンバーである松本健一と、銀座七丁目で「Space 潦(にはたづみ)」を主宰するピアニスト中村真の連係プレーによって実現した音楽週間「6つの夜」の最終日は、オープニングパーティーをキュレートした松本健一に戻り、横浜本牧の「ゴールデンカップ」などを拠点に活動しているDJ morry burns の助力を得て、横浜コネクションの人脈を生かしたクロージングパーティー「スペースワンが見えてきた?! 」を開催した。有終の美を飾った三組の出演者は、アコーディオンを弾きながら、ホーメイでオリジナル・ソングを歌うというスタイルが奇抜なポスポス大谷、伝説的な人気を誇った “ザバダック” の出身で、エレクトロニクスとヴォイスの結合に独自の境地を開いている上野洋子と、アナログシンセやシンバル類をそろえたセットで演奏する morry burns のアンビエント・デュオ、そして最後は、ギターの助川太郎と打楽器の小澤敏也からなるユニット「ブラジルの抽象画」による、実験音楽と大衆芸能をミックスして二で割るのを忘れた?みたいな奇妙奇天烈な世界がくりひろげられた。トリをつとめたふたりが描き出した「ブラジルの抽象画」は、ブラジル音楽の専門家が即興するとこうなるという常識をはるかに逸脱するようなパフォーマンスだった。

 鎌倉在住のシンガーソングライター・ポスポス大谷は、口琴やホーメイに対する趣味的な関心を越えて、中央アジアのノマドたちが、この小さな楽器を鳴らしながら倍音唱法を織り交ぜて歌うスタイルそのものを採用している。ただし伴奏は口琴ではなく、田舎の小学校にある足踏みオルガンが鳴っているような、どこかに懐かしさをたたえたアコーディオンの伴奏に、シンプルにリピートする歌のメロディーを乗せて、たとえば、「空飛ぶ円盤の操縦のしかたを教えて」というような、奇抜な視点を盛りこんだオリジナル曲を歌うのである。低音で歌われるポスポスの倍音唱法は、ホーメイのカリグラと呼ばれるもののようだ。ホーメイ歌唱の前にはかならず「ポスポス」というので、どこの言葉なのかとたずねたら、この言葉に特別な意味はないのだという。使われる場所によってどんどん意味が変わるような、そんな言葉にしたくて使っているのだそうだ。それだけではない。ポスポスは最近、山奥に土地を確保し、野菜づくりに専念しているという。MCではヘンリー・D・ソローの『森の生活』にも触れていたので、すべてはかなり意識的な生活スタイルの選択であり、彼が何者かをいうときには、大胆に、ローカリズムの断片を彼なりに再構成することで、反文明の実践を重ねる歌う思想家といってしまったほうがいいのかもしれない。

 上野洋子と morry burns のセットでは、ふたりともにエレクトロニクスを使用してはいたものの、すべてを電子的なたゆたいのなかに編みこむアンビエント音楽というより、むしろ声と打楽とエレクトロニクスが並列して存在するようなパフォーマンスに聴こえた。上野が声という身体性を持っているように、morry burns にも、一時期のレカン・ニンがそうしていたような、シンバル類に特化した打楽の身体性がある。周知のように、声と打楽は、いずれも私たちが古代から持ち運んできた根源的なサウンドであるため、その原色的なありようが、エレクトロニクスをトライバルな方向へと牽引していく事態を招き寄せる。エフェクトされる素材となるには、それらはあまりに強力なサウンドなのである。ときおりシンバルを連打して、金属の鳴りそのものを聴かせるような打楽を展開した morry burns だったが、上野洋子のヴォイスもまた、素のままでそこにごろりと投げ出したような、むきだしの生々しさを持ったものである。あるいはそのようなものであろうとしている。ささやくようなかすかな声、子守唄のようなメロディー、トラッドふうのヴォーカリーズと、さまざまなヴォイスを経めぐっていく歌姫は、いよいよ最後の場面になると、かたわらにおいてあった赤ワインの入ったグラスを手にして、一口飲んでから、濡らした指でグラスのふちをこすって音を出したり、スタンドに吊り下げてあったバイブレーターを喉にあてながら声を出したりと、演奏とパフォーマンスの境界線上にまで歩みだしていった。美しい女性が少しずつ壊れていく様子が挑発的でどこかエロチック、かつスリリングだった。

 最後に登場した助川太郎と小澤敏也のデュオ「ブラジルの抽象画」は、ブラジル音楽の専門家ふたりによる、どこまでが本気なんだか、どこからが冗談なんだか、まったく区別することのできない、禁じ手だらけのパフォーマンスだった。真面目であることがまるごと冗談であり、冗談が命がけでおこなわれているというような印象。かつてこのようなメタフィクション(彼らのいう「抽象画」)の傾向をさして「アヴァン・ポップ」という言い方がなされたが、何重にも関節外しが用意されているという点で、多層化されたミクスチャー音楽といってもいいかもしれない。期待値はことごとく裏切られ、聴き手のアイデンティティーが混乱することだけはたしかである。この晩の演奏は、ブラジル民謡「白い翼」のテーマとバリエーションからスタートしたが、これも単純なバリエーションではなく、特殊奏法からエレクトロニクス的なアプローチまで含む予想外のもの。その次に演奏された小澤のビリンバウと助川の口琴によるインプロは、その途中で iPhone のラジオをイヤホンで聞く助川が聞いたことをそのまましゃべったり、口の中に iPhone を半分つっこんで音色を変えながら音楽を流したりする奇想天外の流れから、最後にジスモンチの「道化師」を弾奏する。これが過去に「即興演奏」と呼ばれたことはないだろう。即興演奏をするときですら、「ブラジルの抽象画」は断崖絶壁の淵を歩こうとする。いかなる瞬間にもその緊張感を保っていられるかどうかが、このデュオの真骨頂なのだろうと思われた。


※最終改稿日:2012年7月16日(月) 

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