LUCIO CAPECE
ルシオ・カペーセ
ZERO PLUS ZERO
(potlatch, P112)
曲目: 1. Some move upward uncertainly (For Harley Gaber)、
2. Zero plus zero、3. Inside the outside I、4. Inside the outside II、
5. Spectrum of One、6. Inside the outside III
演奏: ルシオ・カペーセ
(soprano sax, bass clarinet, sruti box, electronics)
録音: 2009年~2011年
場所: ドイツ/ベルリン
発売: 2012年4月
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アルゼンチンのブエノスアイレスからベルリンに拠点を移し、音響シーンで角頭をあらわした管楽器奏者ルシオ・カペーセが、2009年から2011年にかけて演奏/録音したソロ演奏をまとめた『ゼロ・プラス・ゼロ』は、通常の音響による即興セッションとは切り口を変え、カペーセがどのような音響に、どのような固有の感覚を、どのように見いだしているかということを、再構成してみせた作品集となっている。少なくとも彼のソロ演奏においては、すでにベイリーのような即興語法(言語的なるもの)は問題になっておらず、その意味では、これは野外演奏するミッシェル・ドネダのソロ演奏によく似たもの──サウンドによって満たされる内面世界──といえるだろう。彼が「ノイズのなかに隠された音程、そして音程のある響きの組みあわせに隠されたノイズ」と呼ぶものは、ノイズ/楽音の二項対立を突き崩すケージ的な思考法に立ったものだが、ここではそうしたケージ流のノイズ一元論を超えて(あるいはその手前に居つづけながら)、ある響きとの接触によって、感覚が変容していく瞬間そのものを演奏に定着しようとしている。それは音楽の演奏というより、むしろあるヴィジョンの開示とでもいうべきものではないだろうか。
見開きジャケットには、いくつかの引用文がちりばめられている。たとえば、地球を地球の外から初めて撮影したソ連の宇宙飛行士ゲルマン・ティトフは、地球が──すなわち、人類にとってゆるぎない大地的なるものが──宇宙の砂粒に見える瞬間を記述し、中世ドイツの神秘家ヒルデガルド・フォン・ビンゲンは、光が経験的なものから普遍的なものに変わる瞬間について述べ、フランスの社会学者エミール・デュルケームは、ひとつのものに精神を集中するとその他のものが見えなくなる経験について語り、そしてさらに、以下のようなゲーム理論からの引用がある。「もしふたつの量子チャンネルの伝達能力がそれぞれゼロであっても、ふたつをともに使用したとき非ゼロ和の能力はなおも保たれるだろう」(非ゼロ和:複数の人が相互に影響しあう状況の中で、ある一人の利益が、必ずしも他の誰かの損失にならないこと、またはその状況を言う)。おそらくこれらは、ある実体や態度の正しさについて述べようとしたものではなく、いずれも視点が変わることで、あたりまえのように考えていた感覚が変容する瞬間と、そのとき私たちに訪れる驚異の感情をとらえようとしている。詳細には触れないが、おそらくここには、崇高なるものをめぐる美学的テーマが隠されているはずだ。引用はいずれも視覚に関係したものだが、「ノイズのなかに隠された音程、そして音程のある響きの組みあわせに隠されたノイズ」というあわいの領域を探索することで、ルシオ・カペーセは、このことを聴覚において感覚可能なものにしようとしている。
オルガンのように響くインドの楽器シュルティボックス、プリペアドしているために “さわり” の響きを誘発するソプラノサックスやバスクラの演奏(サーキュラー・ブリージング奏法で演奏される)、あるいはイコライザー、サイン波、リングモジュレーターのようなエレクトロニクスなどによる特殊演奏は、カペーセの場合、トラディショナルな楽器の演奏方法の外に逸脱していくだけの一方通行的なものではなく、「Inside the outsid」というタイトルに象徴的なように、いわば外側と内側を同時に提示するように組みあわされている。どんな楽器が演奏されているかがわかると同時に、どこか違う、なんか妙だという感覚も聴き手に誘発するように、サウンド構成がなされるのである(「ゼロ・プラス・ゼロ」)。そうしたあわいの領域に滞留するカペーセの反復的、あるいはループ的演奏が心地よく響くのは、おそらくそれらのサウンドが、管楽器奏者である彼の静かな呼吸によって息づいているからではないかと思われる。持続や反復において、ドラマーやギタリストのループとは決定的に異なる気息の関与。ドネダにおいて彼の動物性をむきだしにするものが、ここでは光合成をする(呼吸にすら光が関与していることの驚き!)植物的な呼吸──山内桂のそれに比較できるだろう──にとってかわられている。■
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POTLATCH