池上秀夫
Contrabass Solo Improvisation
日時: 2012年4月4日(水)
会場: 東京/沼袋「ちめんかのや(地面下の家)」
(東京都中野区江古田4-11-2)
開場: 7:00p.m.,開演: 7:30p.m.
料金: ¥2,000(飲物付)
出演: 池上秀夫(contrabass)
予約・問合せ: TEL.03-3386-3910(ちめんかのや)
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「地面下の家」と書いて「ちめんかのや」と読ませる沼袋のスペースは、地上階をギャラリーに、地階をバーラウンジにしている石造りの砦のような建築物で、オーナーの駐車場を兼ねるでこぼこの石畳を踏んで、短い石段を登ったところに玄関がしつらえてある。小さな玄関前の敷地内には大木が植わっていて、鬱蒼と茂った枝を建物の屋根よりも高くのばしている。大木の陰に掲げられた看板は、ゲゲゲの鬼太郎に出てくる妖怪ポストのようといったら、「ちめんかのや」の建物の土俗的な雰囲気が少し伝わるだろうか。斎藤裕の設計で1988年に建設された有名な建築物とのこと。玄関から屋内に入る動線は、小動物の巣穴に潜りこむような印象で、ピラミッドの内部を思わせる石壁を伝って、いったん地階のバーラウンジに降りてから、別の階段を登ってギャラリーに向かうという風変わりな構造になっている。なんということか、淵から水をあふれさせる井戸がある地下ラウンジも、一様な造りにはなっておらず、天井の低い場所と高い場所が組みあわせられているため、座る場所によって受ける印象がまったく違う。王族を埋葬する石棺内部であり、グロッタ(洞窟)であるような場所の感触が、ラウンジ空間のあちらこちらにふりわけられている。建物のすべてに手作りのいびつさがいきわたっており、規格通りの建材がまったく使えない設計に、施工を請け負った大工はさぞや苦労したことだろう。
この地階のバーラウンジには、ステージ用の音響設備がないのだが、喫茶茶会記や阿佐ヶ谷ヴィオロンのように、アコースティックな音楽ライヴを開くことがある。4月4日には、今回が「ちめんかのや」初出演となる池上秀夫のソロ演奏がおこなわれた。独特の空間を構成しているアフリカやタイの民族家具を、みだりに移動させることははばかられたので、階段を降りたところに開けた井戸前のスペースがステージとなった。コントラバス独奏によるフリー・インプロヴィゼーションは、毎年、池袋にある自由学園明日館(みょうにちかん)のラウンジホールを借りて定期公演されている池上のライフワークである。演奏スタイルにこれまで紆余曲折はあったものの、現在は、即興演奏による60分一本勝負というやり方に落ち着いているとのこと。共演者の音楽性にあわせて、様々なタイプの演奏を器用にしわける池上だが、ここではそうしたことを離れ、強い臭みがあることで、人によって好き嫌いが大きい鮒寿司を御馳走として出すようなやり方で、自分の即興演奏を丸裸にする場を作っているということのようである。
即興演奏が最も即興演奏らしさを発揮するシチュエーションのひとつに、特別に音楽のためにあるのではない、固有の特徴をそなえた場所や建築物を、サウンドによって触知していくというものがある。「サイトスペシフィックな演奏」というように、美術的な文脈から呼ばれることもあるが、演奏者がサウンドを媒介して場と呼吸をかわしあうというのは、即興演奏において本来的なことであり、芸術形式の一ジャンルというようなものではない。言うまでもなく、「ちめんかのや」の地下石室は、池上が常用しているヴィオロンとはまったく異なるサウンド環境である。この晩の演奏は、アルコで弦を軽くたたくハーモニクス・ノイズの饗宴とともにはじまった。アルコの触れる場所が変化し、触れる時間が少しずつ長くなり、触れる面積も少しずつ広くなるにつれ、ハーモニクスも微妙に変化していく。図体のでかいコントラバスが共鳴板となって、音は細部までよく響き、石室がミクロなサウンドを乱反射させる。この場所で細かなサウンドの相違がどこまで聴きわけられるのか、初公演となったベースソロで、池上は確認していたかもしれない。演奏者が立ったのは、低い天井が頭上に迫り、楽器のヘッドがなんとか天井をこすらずにすむような空間で、弦から生み出されるノイズは、横に伸びた空間を直進して、聴き手までストレートに届いた。
弦とアルコの関係が打撃から弓奏に移っても、池上は複雑な倍音をともなうノイズを出しつづけることをやめず、アルコにゆっくりと力を加えつづけることで、演奏はさらなるサウンドの変化を追っていくというふうに進んだ。最初のメロディーが出現するまでに20分が経過したが、こうした音色の内声を追っていくような演奏において、メロディーはメロディーとしての意味を失い、サウンドの一部分に再編成されていると考えるべきかもしれない。演奏の中間で、池上は強力なフィンガリングによる伝統的なベースソロを聴かせたが、冒頭と末尾をサウンド・インプロヴィゼーションで構成したという点で、全体的には、ジョン・ブッチャーや mori-shige の系譜に連なる即興演奏といえるのではないかと思う。ただし、彼のサウンドが持っている荒々しさ、勇猛さの特質は、洗練されたブッチャーの味わいとも、深々とした mori-shige のエロチシズムとも別のもので、ノイズに対する考え方から言うなら、むしろ齋藤徹の音楽に近いものを感じた。■
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