焙煎bar ようこ
第2回:跋扈トリオ
田中悠美子+石川 高+新井陽子
日時: 2012年5月18日(金)
会場: 東京/新宿「喫茶茶会記」
(東京都新宿区大京町2-4 1F)
開場: 7:00p.m.、開演: 7:30p.m.
料金: ¥2,000(お茶菓子・飲物付)
出演: 田中悠美子(太棹三味線) 石川 高(笙)
新井陽子(piano)
予約・問合せ: TEL.03-3351-7904(喫茶茶会記)
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チェロの入間川正美をゲスト奏者に迎え、この3月にスタートを切った新井陽子プロデュースによる茶会記コンサート・シリーズ<焙煎bar ようこ>の第二弾が、太棹三味線の田中悠美子と笙の石川高を迎えておこなわれた。どちらの伝統楽器も、ピアノのような西洋楽器の対極をいくものであるばかりでなく、ミッシェル・ドネダなどよりずっと以前から、オリジナルに息による即興性を探究してきた石川にしても、女義太夫の伝統的な語りから出発して、三味線と声による即興性を探究してきた田中にしても、洋の東西に足をかけながらそのどちらにも属さない演奏によって、単独者の道を切り開いてきた演奏家である。それぞれの楽器を離れて、彼らの即興演奏をイメージすることが不可能なのはもちろんのこと、息となり声となるようなその身体のありかたそのものが、この楽器を通して発見されてきたもののように思える。彼らにあっては、楽器は演奏をするための道具でありながら、それ以上のなにかになっている。今回のゲスト奏者ふたりとくらべると、ピアノの前に座る新井陽子は、ピアノ線やハンマーに直接アタックする内部奏法をするにしても、とてもオーソドックスな楽器との対し方をしているといえるだろう。ピアノが家具のように大きいということも原因のひとつになっているだろうか、楽器の道具性をはみ出すことがなかなかできないのである。
それでもトリオの即興演奏においてサウンドの交感がおこなわれるとしたら、それはいったいなにによっているのだろう。「洋楽」に対して「邦楽」とひとくくりにされることの多いゲスト奏者ふたりの演奏に共通して感じるのは、楽器を身体化することによって、即興演奏を成立させる枠組そのものが(見え)なくなることである。笙の響きも三味線の響きも、いわば裸のままでそこに立っている。聴き手が(耳ではなく)指で響きに直接触れているというような印象。しかしそれは、ひところの音響派論が主張していたような、演奏する主体を離れた即物的サウンドの生成といったようなものではなく、演奏者の楽器に対する衝動が、音楽構造だとか表現スタイルだとかいった(よけいな)ものを仲介することなく、ダイレクトに響きと結ばれたところにもたらされるサウンド体験ということではないかと思われる。共演者との対話という、言語とよく比較される、私たちがよく知っている即興演奏の手前には、彼らの即興の独自性を意味する、息の衝動、あるいは声の衝動に支えられた、このサウンドの直接性があるのではないだろうか。おそらくはこれが、私たちがしばしば「原色の感情」という文学的な表現に翻訳し、ひとつのトータルな出来事として受け取っているものの正体といえるだろう。
メカニカルな機能和声が組みこまれたピアノという楽器において、新井陽子はこのようなアプローチをとっていない。とることができない。壁に寄せたアップライトピアノの位置から、共演者の演奏を背中で受け止めていた新井は、ピアノの一音を際立たせる散らし書きをしたり、アブストラクトなメロディーを使ったり、霧のようなクラスターサウンドを一面に敷きつめたり、素早いフレーズで鍵盤のうえを疾走したり、ハンマーを押しつけピアノ線をはじく内部奏法をしたり、オルゴールのような音具を使用したりと、さまざまなことをしながら、深い谷底のうえに橋を架ける想像力のジャンプによって、演奏を成立させようとしていた。かたや、切れ目のないサーキュラー・ブリージングによって、ミニマルに内声を変化させながらゆっくりと移行していくクラスターサウンドというのが笙の演奏だが、おそらくはこの共演が単なるサウンド・ディスプレイに終わらないようにという配慮からだろう、石川高はフレーズらしく聴こえる演奏をして、ときに新井陽子に寄り添うような演奏をし、また息づかいを細分化して、ときに三味線から延々とノイズを出しつづける田中悠美子に寄り添う演奏をして、扇の要役を引き受ける場面もあった。
緊迫した場面の連続だった前半のトリオ演奏からがらりと雰囲気を変えるようにして、後半の冒頭は、新井陽子+田中悠美子、田中悠美子+石川高、石川高+新井陽子という、三つのデュオ演奏がおこなわれた。これもまた興味深いものだった。ふたつのデュオ演奏において、田中悠美子は、義太夫の演目から引用した断片的なフレーズを自由に改変してパフォーマンスするという、彼女のセッションではお馴染みの演奏を聴かせたのだが、これに対する新井と石川の対応が対照的だった。新井は異質なピアノサウンドをぶつけるところからヨナ抜き音階での解決を用意し、石川は笙ならではの演奏をそのまま変えずに、サウンド(=息)の強度だけで共演者に対したからである。また新井と石川のデュオでは、ピアノに向かう前に、新井が複数のオルゴールを部屋のあちこちに置くという、サウンドインスタレーション的なこともした。ほんの少し環境を変えることで、聴き手の耳は、別の聴き方の準備をはじめるのである。そんなふうに意外な場面展開を工夫することによって耳の想像力をジャンプさせるところに、彼女の即興演奏の秘密が隠されているのかもしれない。最後はふたたびトリオ演奏。大きな弓を使って三味線から切れ目のないノイズを引き出す田中の演奏を中心にした静かな雰囲気からスタートし、おたがいのサウンドを激しくぶつけあうクライマックスで大団円を迎えた。なかなかに真剣勝負の一晩だった。■
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