2012年5月12日土曜日

池上秀夫ソロ@自由学園 明日館



池上秀夫
コントラバス・ソロ・インプロヴィゼーション
at 自由学園 明日館
Hideo Ikegami: Contrabass Solo Improvisation
日時: 2012年5月11日(金)
会場: 東京/池袋「自由学園 明日館/ラウンジホール」
(東京都豊島区西池袋2-31-3)
開場: 6:30p.m.,開演: 7:00p.m.
料金: ¥2,000(飲物付)
出演: 池上秀夫(contrabass)
問合せ: TEL.03-3971-7535(明日館)


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 ル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエとともに近代建築の御三家として知られるフランク・ロイド・ライトが、弟子にあたる遠藤新と共同で設計した建築物として有名な自由学園明日館は、講堂や小ホールを一般に貸し出している。天井が高く、床も板張りという、教会を思わせる建物の造作が開放的な雰囲気をもっていること、また響きの伝わり方がずばぬけていいために、日頃ライヴハウスの地下空間を利用することの多い即興演奏や舞踏に、特別なパフォーマンス空間を提供してくれる。モダン建築のなかでモダンアートをというだけではない、特別な経験の場となっているのである。照明や音響の設備が整っているわけではないが、アコースティックな響きを重視する音楽にとっては、それを十分にうわまわるサウンド体験が得られ、私たちがそのなかで日々暮らしている町場の即興演奏に、記念すべき出来事として記憶に残るようなアクセントを打つのに恰好のスペースとなっている。特に、コントラバスの池上秀夫が年一回のソロ・コンサートに使用しているラウンジホールは、大きな窓の向こうに緑の芝生が広がっているので、場所の開放性が一段と増している。公演は夜におこなわれたが、昼の陽光に光り輝く芝生を背景に気持ちよく演奏する姿も、ぜひ見てみたいものである。

 一回一回の即興演奏は、特別な場所との特別な交感であるからこその即興演奏だということをわかってはいても、日々のルーティンワークのなかで、私たちはそのことをどうしても忘れがちだ。残念なことに、そのことにいち早く気づくべき即興演奏ですら、そのようなルーティンワークに陥りがちである。阿佐ヶ谷ヴィオロン、沼袋ちめんかのやというように、特徴的な環境のもとでおこなわれている池上秀夫のコントラバス・ソロは、毎年、この明日館に戻ってのソロ・インプロヴィゼーションで、彼自身の日々の即興演奏の(リセットではなく)再チューニングをおこない、昨日と明日を準備しようとしているように思われる。おそらく池上は、なにかを再確認するために、(観客になる友人たちと)ここに戻ってくるのだろう。それが後戻りのきかない一回かぎりの出来事を生み出すという意味では、顔のない日常性にもう一度エネルギーを注ぎこむための通過儀礼といえるのだろうし、お祭りのような年間行事にしているという意味では、この一年をがんばった彼自身とコントラバスへのご褒美にもなっているのだろう。2007年5月にスタートを切ってからすでに5年が経過し、人も音楽も変わったに違いない。

 この晩のコントラバス・ソロは、最近の池上の傾向を反映して、60分ノンストップでおこなわれた。たっぷりとした低音は背後の窓に反射し、床面を伝わって会場いっぱいに響きわたり、集中して楽器を鳴らしているだけで自然に瞑想状態が訪れ、思考は吹き飛び、演奏上の小細工は一切不要になるという、環境がミュージシャンを強力に支えると同時に、音楽をも大きく形作ってしまうようなパフォーマンスが展開されていく。通常ではあり得ないような演奏が演奏として成立する。池上の背後にそそり立つ細長の窓は、上部にいくにつれて山なりにかたどられた独特の窓枠デザインになっていて、一見するとアブストラクトな形象に思えるのだが、ここに窓ガラスに反射した電灯が映りこむと、アブストラクトな形象が突然ミュージシャンの背後に茂る深い森に見え、電灯のあかりは、森のうえにかかる月に見えてくるから不思議である。いうまでもなく、ウッドベースも森の隠喩をたたえた楽器である。樹々から生まれ、樹の声を響かせる。精霊たちを呼び出すシチュエーションは完璧に整えられたのである。

 即興演奏にしばしば使われることがあるので、即興ファンにはよく知られた、大谷石地下採掘場跡地(栃木県)という場所がある。地下に開けた大洞窟である。その場所とおなじように、人々に特別な響きを体験させる明日館でも、フレーズをサウンドに還元するというようなことが簡単にできてしまう。しかも細かい音までがよく通るので、耳を解放したまま、千変万化するサウンドにつき従っていけば、それだけでなにかが達成されてしまう。むしろ演奏者は、そうした自然な音の発露をさまたげないようにするために演奏技術を磨き、耳を一定の方向に縛りつけないことが求められるだろう。そうした方向で探究を深めている池上にとって、明日館は願ってもない環境なのである。もうひとつ、演奏者としての池上の欲求のなかには、コントラバス奏者になる過程で獲得されたジャズ衝動とでもいったものがある。いてもたってもいられず、強力なフィンガリングで、太い弦をブンブンいわせたいのである。ほとんどの時間をアルコの弓奏で通したこの晩のソロ演奏は、我慢に我慢を重ねて、最後まで解体的演奏に徹しきるかと思われたのだが、残り10分というところで、おさえきれなくなったジャズ衝動が顔を出すことになった。これはもう理屈ではない。欲求こそが池上ならではの形式を生み出していくということになるだろう。

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自由学園 明日館