2012年5月2日水曜日

FOOD feat.Nils Petter Molvær@横浜BankART1929



FOOD feat.Nils Petter Molvær
── Japan Tour 2012 ──
Special Guest: 巻上公一 神田佳子 中村仁美
日時: 2012年4月20日(金)
会場: 神奈川/横浜「BankART Studio NYK/NYKホール」
(神奈川県横浜市中区海岸通3-9)
開場: 6:30p.m.,開演: 7:30p.m.
料金/予約: ¥4,000、当日: ¥4,500、学生: ¥2,000(要学生証)
出演: ニルス・ペッター・モルヴェル(tp)
イアン・バラミー(sax) トーマス・ストレーネン(ds)
Guest: 巻上公一(vo, theremin)
神田佳子(perc) 中村仁美(篳篥)
主催: Makigami Office
予約・問合せ: TEL.0465-63-0578


【第一部】
中村仁美+神田佳子
巻上公一
巻上公一+中村仁美+神田佳子
【第二部】
FOOD+ニルス・ペッター・モルヴェル
【第三部】
トーマス・ストレーネン+神田佳子
ニルス・ペッター・モルヴェル+中村仁美
イアン・バラミー+巻上公一 ~ 全員


♬♬♬


 新宿ピットイン公演の翌日、コンサート会場を横浜に移し、建物の裏手まですぐ海が迫る海岸通りのバンカート・ホール(旧第一銀行と旧富士銀行に使用されていた歴史的な建造物を文化施設に転用したため、このように呼ばれる)に場所を借りて、FOODの自主公演がおこなわれた。自分たちで観客席を作り、受付を準備し、楽屋を急ごしらえし、PAや楽器類を運びこんでの手作りコンサートである。銀行ではどんな場所として使われていたのだろう、会場となったのは、何本もの太い支柱に支えられたコンクリート造りのだだっ広い倉庫で、反響は抜群、解放感のある深いソノリティーが得られる。環境と深く結びつく即興演奏には、願ってもないスペースだった。個人的な思い出として、以前このバンカート・ホールでは、荒々しい息だけのソプラノ演奏をするミッシェル・ドネダが、まるでケモノのように会場を歩き回る(というか、正確にいうと、このライヴを経験してはじめて、ドネダの息と歩行が「動物的」であることに気づいたのであるが)パフォーマンスを見たことがある。その記憶が、私にとっては、この場所をインプロ無法地帯のように感じさせている。FOODの連中が、やはりこの場所に解放感を感じていることは、ピットインでは落ち着いたテナーから出たイアン・バラミーが、この晩はソプラノを吹いて高揚感のあるスタートを切ったところにもよくあらわれていた。場所の力とは恐ろしいものである。前日とくらべると、彼らの演奏は、数倍という規模で大きなものになっていたのではないだろうか。

 共演陣にも工夫が凝らされていた。FOODの三人に、巻上を含めて三人という同数のゲストで相対し、しかも巻上の他はいずれも女性ミュージシャン。ひとりはストレーネンと同じパーカッション奏者の神田佳子で、ひとりはミステリアスなモルヴェルの天上的サウンドを毒消しするような篳篥奏者の中村仁美である。共演者が女性というのは重要なポイントだ。というのも、ジェンダー問題も無関係ではないが、なによりも女性たちは男性のようには演奏しないからだ。なにをどうするか、男性の思惑をつねにはずれていくものを持っている。そして、ピットイン公演で、巻上のテルミン演奏がバラミーのサックスとよく会話するのは確認ずみだった。ゲスト構成はコンサート構成にそのまま反映し、日本人ゲストだけの演奏、目玉となるFOOD公演に引きつづく即興セッションは、10分ほどのデュオ演奏を主体にしたFOODのバラ売り形式というものだった。緊密に結びついたFOODの音楽性の解体と再構築──巻上がそうしたことを意図していたかどうかは知らないが、ソノリティの深い会場でFOODの演奏をより高く飛翔させつつも、即興セッションは、結果的に、その次のステップへと踏み出していたように思われる。

 第一部は、日本人プレイヤーだけによる演奏で、神田佳子と中村仁美による華やかな女性デュオの演奏から出発し、つづいてコンサートの主催者である巻上を紹介するソロがあり、最後に三人が揃ってトリオ演奏するという、コンサートの導入部らしい物語性をそなえた構成がとられていた。明るく、いたって反応のいいパーカッションの神田佳子は、リズムの躍動感に身をゆだねながら、全身から演奏する喜びをあふれさせる快活なプレイヤーだ。対する篳篥の中村仁美は、声調だけを抽出したような、この伝統楽器特有のアブストラクトなラインを描き出していたが、神田がたたきだすリズムに乗ってアイルランド民謡ふうのダンサブルなリフをとってみせるなど、決して伝統を墨守するだけの演奏家ではない多様性も見せていた。巻上が演奏するテルミンは、この楽器のもつ「貴族的前衛」とでもいうようなイメージを離れ、ノイジーかつ野性味を失うことのないアナログシンセへと変貌する。この野性味なくして、むき出しにされる女性たちの感情に対抗することはできなかったろう。特筆すべきは、セッションの大団円で、次第に高揚していく打楽器にぶつけた巻上の荒々しい超低音ヴォイスで、これこそまさに、「即興ヴォイス」あるいは「ヴォイス・パフォーマンス」という枠組みなしでは考えられない所属不明の怪声であった。この声は第三部にも登場した。

 サックスのイアン・バラミーは、まだなにも準備されていない会場に入ってくるなり、ソプラノを取り出して会場の鳴りを確かめはじめた。この日の演奏がいいものになることを、彼は直観したのではないだろうか。深いエコーを帯びたサウンドは、演奏のひとつひとつを大きなサイズにして演奏家たちに返していく。トリオの持ち味になっているゆったりとした響きのバイオリズムが、じつは深い呼吸であることを、この会場は聴き手にきちんと伝えてくれる。それと同時に、サンプリングやループによって複数化・多焦点化された響きの飽和状態、アンサンブルの無時間性といったものは、新宿ピットイン以上に現実化され、立体的なものになっていた。さらに大海原とか山脈といったような、広大な風景を連想させる演奏のパストラルな雰囲気は、バラミーとモルヴェルが何度となくフレーズを駆けあがっていく演奏をしてみせたことによって、ここでは山脈に呼びかける山唄のように聴こえてきた。ECM的なるものを、私たちは視覚的に理解し、ひとつの絵柄として受けとっていると思うが──そしてたぶん実際にも、そのような演奏があるのだろうが──ことFOODに関しては、そうしたヴィジョンの裏に、崇高のテーマを見いだす西欧的な感受性が隠れていることは、間違いないように思われる。

 第三部は、本公演の隠されたテーマである「解体と再構築」の即興セッション、すなわち、バラ売りされるFOODである。激しくぶつかりあうリズムとリズムの饗宴、篳篥とトランペットが描き出すこのうえなく静謐な世界、サックスとテルミンによる密接にからみあう対話、そのどれもがFOODの重要な一面であるようなものが、別のコンテクストに移しかえられることで、FOODのグループ表現がもっている音響ホーリズムから引き離され、もっとずっとシンプルな形で提示されることになったと思う。同じヴィジョンを伝えるのに、それほど多くの音は必要ではないということを証明したような演奏といったらいいだろうか。ここから逆に、サンプリングやループといった音響機器の採用が、彼らの音楽にどんな意味をもっているか──先に述べた「混在する時制」──が、より明確に見えてくるように感じられた。最後は、第一部と同じように、イアン・バラミーと巻上公一のデュオに、残りの全員が参加していくという、大団円の即興セッションになった。FOOD横浜公演は、長時間の演奏を、インスピレーションにあふれ、緊張感を失わせることのない見事な構成で乗り切った、素晴らしいコンサートだった。

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横浜 BankART Studio NYK/NYKホール