2012年5月29日火曜日

Wormhole@黄金町 試聴室その2



Marcos Fernandes presents
Port of Call vol.8: Into the Wormhole
日時: 2012年5月26日(土)
会場: 横浜/黄金町「試聴室その2」
(神奈川県横浜市中区黄金町2丁目7番地先「黄金スタジオ内」)
開場: 7:00p.m.、開演: 7:30p.m.
料金/前売: ¥1,500+order、当日: ¥2,000+order
出演: 新井陽子(keyb) 狩俣道夫(sax, fl, vo)
田中悠美子(太棹三味線, vo) kawol(g, vo)
清水博志(perc) マルコス・フェルナンデス(perc)
予約・問合せ: TEL.045-251-3979[12時~22時](試聴室その2)


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 サウンドアート的な指向をもつ打楽器奏者マルコス・フェルナンデスが主宰する即興グループ「ワームホール(虫穴)」は、その時々に海外からのゲストを迎えるなど、流動的なメンバー構成によって維持されるアメーバ状の活動体である。風変わりなグループ名は、即興演奏の個人技よりも、むしろ国籍・人種の如何を問わず、多種多様な人々が即興演奏によって複雑に入り組んだ関係性を描き出していく地下茎の猥雑さ──かつてドゥルーズ=ガタリによって概念化された「リゾーム」モデル──を、即興演奏の関係性のヴィジョンとして重視した結果ではないかと想像される。ときにパラレルな演奏の状態が延々とつづくこともあるフリー・インプロヴィゼーションにおいて、参加する演奏者の人数は、少なければ少ないほどいいとされる。人数の多さは交通渋滞につながり、いたずらに他人の演奏に追従したり、演奏者が自分の演奏の方向性や意味を見失ってしまう危険性が大きいからである。ームホールの特徴は、セクステットという、即興演奏ではラージ・アンサンブルの部類に入るメンバー構成でパフォーマンスするために、大幅にリズムを取り入れていることにある。この意味から言うなら、つねにビートを出しているというわけではないが、グループを下支えするのはフェルナンデスと清水博志の打楽コンビで、そのうえにさまざまなサウンドが即興的にトッピングされていくという意味で、ピザのような演奏構成になっているのではないかと思われる。

 会場になった横浜黄金町の「試聴室その2」は、京浜急行の高架線下にずらりと並んだボックス状の建物のうち、157番と158番のボックスを使ってライヴスペースと軽食喫茶ラウンジを開設したものである。店の中央に高架線を支える大きなコンクリートの柱が立っているが、その四方を書棚で埋めて喫茶店の雰囲気を作っている。気になる音盤や書籍をカフェで自由に試聴したり読書したりできるスペースということである。大岡川に面して張り出し窓をもつ各ボックスは、反対側の商店街に面した建物内に、まるで廊下のように感じられる、屋根つき、縁側つき通路で連結されており、そこから各ボックスに出入りできるようになっている。「試聴室その2」にだけ大岡川沿いに出入口がある。黄金町と日ノ出町を結ぶこの高架線下は、じつは街娼が春をひさぐ青線地帯として知られたエリアで、10年ほど前に、そうした風俗営業の「スナック」に、橋梁補強工事の名目で追い出しがかかり(「横浜開港150周年」に向けた街のイメージアップが目的だったといわれている)、そのあとにこの賃貸ボックスが造られたという来歴をもっている。電車が通過するたびに天井から大きな轟音が響く。音楽にとってはかならずしも恵まれた条件とはいえないが、関係者にも少しずつ知られてきているようである。ステージは三人が乗るほどの広さしかなく、フェルナンデス、清水博志、狩俣道夫はステージ下で演奏した。「Port of Call」はフェルナンデスがこのスペースで毎月開いている公演シリーズのタイトルで、そのひとつとしてームホールの即興セッションがおこなわれたのである。

 マルコス・フェルナンデスが参加するフィールド・レコーディング奏者の集まり「Tokyo Phonographers Union」のライヴ・パフォーマンスを、この公演に先立つ5月3日に渋谷のBar Issheeで聴いたのだが、いたってゆるい関係性のうえに成り立つ即興演奏という点で、そこでも似たような印象をもった。「写真に撮影会という集まりがあるように、フィールド・レコーディングにも録音会のようなものがあり、このようなライヴもまた、その場にいる観客を巻きこみながら、そうした相互鑑賞、相互批評の場の延長線上にあるものとして機能しているのではないだろうか」という感想を書きとめたが、試聴室でおこなわれた集団即興にも、基本的には同じことが言えると思う。コンピュータによる即興的な演奏では、時間として流れることのないサウンドプールが出現したのだが、リズムを重要な要素とするームホールにおいて、演奏されるサウンドはひとところに滞留したままにはならず、なだらかな山や谷のラインを描き出しながら瞬時に流れていく。演奏者たちの異質さが音楽の停滞状態を生まないように、ふたりの打楽器奏者が媒質役をつとめている。交通整理のようなことをするわけではない。ときどきリズムで風通しをよくするのである。こうした関係性に対する嗜好というのは、ハマ育ちのフェルナンデスの楽天的な性格によるのだろうか、あるいは異質なるものの間を生き抜いてきた知恵によるのだろうか。

 アンサンブルは誰かがああ言えば誰かがこう言うという状態の連続で、ときどきソロが浮かびあがっては沈んでいく井戸端会議という感じなのだが、演奏の終着点が見えないままで、集団的にその場の方向性が選択され、新たに選ばれた方向にみんなで参加していくということの反復によって進展していった。それでも共演者の演奏にコメントする相互批評と呼べるような即興も聴かれた。ライヴの第二部で、テニスコーツの話題からギターのつま弾きでスタートしたkawolが、ふたたび同じテーマに戻って終わるという予定調和的な展開をしたのを、それではならじと狩俣道夫がヴォイスで破った場面などである。しかしこうした場面は例外的なものだったように思う。全体として見ると、メンバーの即興演奏は、対話のための言葉になっているというよりも、むしろ個性的な色彩をもった絵の具のような感じで、集団創造で即興的な絵画を描いていくという印象は、先述した「Tokyo Phonographers Union」のありかたに通じるものだった。そのなかにあって、狩俣は演奏の進行状態を読みながら、獲物を狙う鋭い鷹の目をもって、彼自身のソロを効果的に挟みこむことのできる場所をいつも探しているふうであった。kawolの演奏に対する対抗ヴォイスも、おそらくはこうしたことの一環としてあらわれたものであろう。



  【関連記事|Marcos Fernandes】
   ■「Julie Rousse with Tokyo Phonographers Union」(2012-05-04)

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黄金町 試聴室その2