長沢 哲: Fragments vol.12
with zma
(三ツ井嘉子+池田陽子)
日時: 2012年9月16日(日)
会場: 東京/江古田「フライング・ティーポット」
(東京都練馬区栄町27-7 榎本ビル B1F)
開場: 7:00p.m.、開演: 7:30p.m.
料金: ¥2,000+order
出演: 長沢 哲(drums, percussion)
zma|三ツ井嘉子(flute, sounds) 池田陽子(viola)
問合せ: TEL.03-5999-7971(フライング・ティーポット)
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打楽器奏者の長沢哲が、江古田フライングティーポットで開催しているシリーズ公演「Fragments」も、フルートの三ツ井嘉子とヴィオラの池田陽子からなるユニット “zma” をゲストにした九月のライヴで、記念すべき一周年を迎えた。フクイチの過酷事故をなかったものにしたい政界・経済界の圧力のもと、複雑化の度合いを深める故郷・福島の政治情勢を片目にしながら、網の目のように張りめぐらされた東京のインプロシーンから、新たな即興の地下水脈を探り出して紹介しつつ、同時に共演の機会を持つというネットワーキングの作業を継続している。今回ゲストに迎えられた “zma” は、今年になって正式に結成された即興デュオで、聞くところによると、 “zma” というのは三ツ井が提案した「団地妻」の略称だという。池田が「団地妻」に異を唱えたことで、いまの表記に落ち着いたとのこと。ふたりは人妻でもなければ団地暮らしの経験もないということで、名前の由来を聞けば「ただなんとなく」ということになるが、あらためて考えてみれば、この「団地妻」には、奇妙な生態の動物をカリカチュアしたような印象があって、 “zma” のユニット名も、そうしたセクシャルな男性的視線を逆手にとった一種の誘惑戦略になっているといえるかもしれない。コンサートの構成は、第一部: “zma” 、第二部:長沢哲ソロ、第三部:三ツ井嘉子+池田陽子+長沢哲トリオとなった。
即興ユニット “zma” の演奏は、フルートとヴィオラというクラシカルな楽器の組合わせによる、じゅうぶんに抽象化された二声のインプロヴィゼーションを中心にしたものだが、それだけではなく、三ツ井が演奏中にサウンド・コラージュの録音を流したり、フルートからリコーダーに持ち替えて演奏(この晩の楽器チェンジはなかった)したりすれば、一方の池田は、ヴィオラに電気的な深いエコーをかけるなどして、それぞれに演奏の単調さを回避するヴァリエーションを工夫している。というか、そもそもの話をすれば、デュオ結成のきっかけになったのは、このようにして録音された生活音や自然音とともに即興演奏したいという動機から、三ツ井が池田に声をかけたということのようだ。デュオ・インプロヴィゼーションのありようは、対話不可能なほどに異質なものがあえて対話の場に居合わせるという、これまで男性的な即興演奏の世界でくりかえされてきたような関係性──すなわち、対決姿勢を示しながら、おたがいの個性を際立たせるといったものではなく、二匹の蝶々が舞うようにして二声の対話をかわしたり、相手のソロを支えるパターンを出したりするなど、共演者との距離を測りながらも、なかよく界隈の散策に出るといった趣きで、なにごとにも気づかいを欠かさない女性ならではのほんわかとしたムードにあふれたものだった。
アブストラクトなフレーズによる演奏は、ふたりともに抽象絵画のラインやドットを描いていくような趣きなのだが、そのありようには質的な相違があるようである。ひらひらと舞う二匹の蝶が、それぞれのテリトリーを守りながら一枚の絵を描き出しているように、高音域のフルートに対したときの低音域のヴィオラという音域の相違が、サウンドで一枚の絵を描くふたりの演奏に別の性格を与えていること。あるいは、ボケとツッコミという漫才の役割分担に相当するものが、デュオの相性のよさを支えているように感じられること。後者におけるボケ役は三ツ井ということになるのだろうが、これはデュオの対話がそうした性格を持っているというだけでなく、汗でずり落ちてくる黒縁眼鏡を、かろうじて鼻の先に引っかけながら懸命にプレイする姿に、一種のキャラ萌えが起こっているせいでもあるように思われる。相棒である池田陽子が目を閉じながら演奏する涼しげな姿と、それはなんと対照的なことだろう。さらにサウンドの質という点もある。すなわち、池田のヴィオラが、鋭角的で “アヴァンギャルドな” 演奏をすることがあるのにくらべ、三ツ井のフルートが、ときにどこからか音が漏れてしまうような脱力サウンドを響かせることにもよっているはずである。
長沢哲の打楽ソロについては、これまでにも何度となく触れてきたので、ここであらためて詳述する必要はないだろう。第三部のトリオ演奏は、静謐な長沢ワールドに静かに踏み入っていく “zma” の断片的なサウンドの応酬からスタートした。やがて三ツ井と池田は、ミニマルに変化をつづける長沢のドラミングをバックにソロを交換しはじめ、ときにデュオになったり、いっしょにリフを奏でてドラムソロのパートを作ったりしたが、特に前半において、アンサンブル全体の方向性は三ツ井によってリードされていたように思う。トリオ・インプロヴィゼーションは大きく前半と後半にわかれ、静かなトレモロの打楽で再スタートした後半では、“zma” のふたりがノイズ的なアプローチをとるなど、音楽経験の豊富なところをのぞかせたのにも注目させられた。時間の経過とともに演奏は次第に飽和状態を迎えていく。三者三様に即興演奏が熟していくといったらいいだろうか。問題は着地点だった。何度か沈黙の瞬間が訪れはしたものの、誰もがこれで終わりという意思表示をせず、そのつど演奏は再出発していった。最後の時間帯で、長沢は明確なビートを出すドラミングを持続し、“zma” のふたりがロングトーンで乗ってきたところで一気にテンションをあげる大団円を演出した。様々なアンサンブルのスタイルに通じたトリオの演奏は、聴きごたえじゅうぶんのもので、音楽が一色に染まることの多いジャズの即興セッションなどより、はるかに豊かな世界を作りあげていたと思う。■
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「長沢 哲: Fragments of FUKUSHIMA」(2012-08-21)
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