2012年10月1日月曜日

【CD】新井陽子: water mirror



新井陽子 piano solo
water mirror
kotoriya kobo|no serial number|CD-R
曲目: 1. twitters (4:27)、2. 1020 (4:42)、3. water flea dance (3:10)
4. water mirror (4:52)、5. hundred of legs (3:11)
6. a day clouds passes (7:53)、7. roarer (10:53)
8. ascendant stars (5:53)、9. magouta (6:15)
10. dawn (2:34)
演奏: 新井陽子(piano)solo
録音: 2009年10月/東京「studio Forte」



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 200910月、この年の欧州ツアーに出る直前に収録されたピアニスト新井陽子のソロ演奏集『water mirror』は、どの曲にも絵画的な風景を想わせるタイトルがつけられているが、即興演奏のアルバムではよくあるように、けっして視覚的なイメージを優先した作品集ではなく、耳をピアノ線の響きに密着させながら、波動となった弦の一本一本をからだ全体に巻きつけるようにして演奏していったという点で、サウンド・インプロヴィゼーションと呼んでもいいような、これ以上なくリアルで明瞭な音像を刻みこんだ作品集となっている。ライヴでは多彩なシークエンスをつなげて演奏する新井だが、演奏を短く区切って再構成した本盤は、楽曲ごとのモチーフに破綻がないように配慮したものと思われる。それでも即興演奏がひとつのイメージに収斂していこうとすると、異質な要素をはさみこもうとする衝動がピアニストに起きてくるようなのだが、本盤ではそれが楽曲の世界をさらに大きく広げるように働いている。

 タイトル曲「water mirror」(水鏡)は、本作中ただ一曲プリペアドされたピアノによる演奏で、ストレートなピアノ・サウンド、ミュートされたピアノ線のくぐもった響き、なにかものに触れてノイズを発しながら鳴るピアノ線という三種類の音が、リズミカルなバランスをとりながら豊かなサウンド・ワールドを広げていくという演奏になっている。マイクをピアノの内部に深くさしこんだ録音は、深いエコーがタイトルの喚起する水を連想させるだけでなく、演奏中のピアニストが没入している楽器の鳴りそのものをとらえようとしている。どんな音楽ジャンルのどんな演奏家にあっても、楽器との間には親密な関係が築かれるものだろうが、ときに内面まるごと、全身まるごとを没入する即興演奏にあって、楽器は音楽の源泉そのものであり、その親密度はいっそう深いものになっているのではないだろうか。ピアノとかわす一対一の語らいにおいて、新井陽子は磨きあげた孤独を生きているように思われる。

 響きに密着する耳とともに、形式(形のない響きに形を与えること)に対する彼女の感覚にも鋭いものがある。鋭いというより迷いがないというべきだろうか。最初からすべてをお見通しと感じさせるような。それが感覚におけるリアルで明瞭な音像を、なおいっそう確実なものにしている。ピアノをコントロールする高い技術によって、求める演奏をいともたやすく手に入れることのできる彼女にとって、本盤はCD-Rでリリースされていることが信じられないほど完璧なアルバムであり名盤となっている。しかしながら、もしそれがピアノでないとしたなら、彼女にとっての他者は、いったいどこからやってくるのだろう。逆の方向からいうなら、即興演奏が予測不可能の出来事となるには、そこにまったく別のなにかが必要になるということであり、破壊衝動は、誰にでもない、彼女自身に向けられるだろうことを予測させる。はたしてそのようなことを望むかどうかは、誰にも、たとえ本人にも、わからないことではあろうが。

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