2012年10月8日月曜日

ヒグチケイコ・ソロ: nothing is real vol.5



ヒグチケイコ ソロ
Keiko Higuchi Solo Acoustic Series
nothing is real vol.5
日時: 2012年9月25日(木)
会場: 東京/新宿「喫茶茶会記」
(東京都新宿区大京町2-4 1F)
開場: 7:30p.m.、開演: 8:00p.m.
料金: ¥1,500+drink order
出演: ヒグチケイコ(vocal, voice, piano)
予約・問合せ: TEL.03-3351-7904(喫茶茶会記)

【演奏曲目】

1st set
「You Don't Know What Love Is」(Gene de Paul/Don Raye)
「yes, sister」(keiko higuchi)
「Muddy Water」(Nick Cave)
「How Deep Is The Ocean」(Irving Berlin)
「ただの男 - another man」(keiko higuchi)

2nd set
「Little Bit of Rain」(Karen Dalton)
「I Love You More Than Words Can Say」(Karen Dalton)
「Black Coffee」(Paul Francis-Webster/Sonny Burke)
「みだれ髪」(星野哲郎/船村徹)
「Crazy」(Patsy Cline)
「Mon Enfance」(Barbara)
「Lover Man」(Jimmy DavisRoger Ramirez & Jimmy Sherman)



♬♬♬



 ヴォイスのヒグチケイコが完全アコースティックでのぞむコンサート・シリーズ「nothing is real」が、冒険的な音楽に会場を提供している喫茶茶会記で隔月開催されている。シリーズでは歌とピアノだけで演奏することもあり、特別ゲストを迎えることもある。第五回目となる今回は、すでに収録がすみ、リリースを待つばかりとなったソロ・アルバムからの曲も含め、新たに構成された楽曲群をピアノ弾き語りする伝統的なスタイルでおこなわれた。よく知られるように、ヒグチのソロ・パフォーマンスは、エフェクター類で声をループさせたり、複数化したりするやり方も持っている。彼女の場合、そこに生じる魔術的な効果は、ワレンチナ・ポノマリョーワやディアマンダ・ガラスなどと違って、聴き手に呪いをかけるような声の神秘主義へと落ちこむことなく、もっと機械的な身体、すなわち(ダナ・ハラウェイ流の)女の(あるいは女声の)サイボーグ化を引き寄せるようである。ここで詳述はできないが、個人的には、この機械的な身体こそが、ヒグチがソロのテーマにしている女の生=性を、観念的なものではなく、物質的なものとして観察するための装置となっているのではないかと推測しているのだが、いずれにせよ、スタンダードな曲に(アドリブや編曲ではなく、即興によって)大きな身体的変容をもたらす彼女のパフォーマンスでは、こうした声の魔術化=マシーン化も大きな魅力となっている。

 そうしたある種のわかりやすさを捨て、あえて完全アコースティックの演奏にのぞもうというのが、本シリーズの趣旨である。しかしながらヒグチケイコがヒグチケイコであることに変わりはなく、この晩も、ピアノの即興演奏で、原曲がわからなくなるくらい曲に変容をもたらし、低いバイブレーションを波打たせるヴォイスで、世界を濃厚な夜の色に塗りかえていくという彼女ならではのパフォーマンスが全面展開した。ときに気分次第で変更されることがあるにしても、演奏はそれなりの曲順にしたがって進行していく。しかしそうしたことが印象に残らないのは、彼女のピアノとヴォイスが、まるで大きな石の塊をごろんと床に転がしたかのように、ひとかたまりの音として表現されるからである。物質の手ごたえを持ったサウンド群といったらいいだろうか。歌のメッセージは静かに手渡されるのではなく、圧倒的な水量の津波が襲うような危機的な事態とともに聴き手に押し寄せる。高いテンションを維持した演奏、身体から発散されてくる夜のムード、呪術的な声の魔力といったいくつもの要素から、女性シャーマンと呼びたくなるような雰囲気を持ったヒグチケイコだが、前述したように、彼女にそうしたミスティシズムの衣装をまとう意図はない。

 このように書いてくると、もしかすると、個々の楽曲は単に即興するための素材にしかなっていないように受け取られるかもしれないが、けっしてそうしたことはなく、逆に、楽曲はそこを通じてヒグチの内面に触れる通路となっており、当然のことながら、彼女を触発するような作品が厳選されている。ヒグチ自身がMCのなかで「私は女とともにいる気持ちでソロをやっている」と印象的に述べていたように、またこれまでにも、機会があるごとにくりかえし語ってきたように、パフォーマンスのテーマは声による即興演奏であり、女の生=性なのである。このテーマに噛みくだいた解説をつけることはむずかしいようで、想像するに、それはおそらく言葉で説明できるような言語的ヴィジョンではなく、声とピアノのパフォーマンスによってただ一度だけ生きられる、歌い手の実存と深くかかわるものだからではないかと思われる。言いかえるなら、演奏という生命的なもののあらわれが、同時に生の一場面であり、性的なものの獲得であり、あれこれの欲でもあり、(あえてつけ加えるならば)聖性であり、精神性のあらわれでもあるような瞬間の実現に他ならないというようなこと。そうしたことを(言葉ではなく)演奏によって考えるというのが、ヒグチケイコのやり方なのではないだろうか。

 テーブルを囲んだ一団の観客が声高に談笑するなか、最前列の暗がりに置かれた椅子に腕組みをしてすわり、意識を集中して静かに開演時間を待っていたヒグチは、やおら立ちあがってピアノの傍らにつくと、鍵盤とピアノ線を交互に鳴らしながら、ヴォーカリーズで声を出しはじめる。ときおり強烈に鍵盤をたたいて出される大きなクラスター音。言葉はない。異様な緊張感に会場が静まりかえる。水滴が落ちるように鳴らされるピアノ音とともに歌われる断片的な英語から、やがてそれが、彼女がよく歌っているジャズのスタンダード「You Don't Know What Love Is」だということが、おぼろげに理解される。原曲のフェイクという以上の破壊的な再現。そのままピアノ椅子に座って、トレモロの連打が始まると、曲はすでに自作の「yes, sister」へと移行している。ピンと張りつめた緊張感のなかで進行していくパフォーマンスは、あれこれの楽曲を並べたピアノ弾き語りというより、切れ目のない即興演奏のなかに、いろいろな歌詞の断片が浮きあがり沈んでいくものといったほうが正確だろう。ヒグチケイコのソロ・パフォーマンスは、オリジナルとカヴァーという楽曲の出自にかかわりなく、歌によって引きずり出された女の身体をまな板に寝かせ、声をメスがわりにしておこなう生体解剖のようだった。




※上掲のミュージシャン写真はサウンドチェック時のもので、本番では髪を下ろし、両手に黒いリストバンドをし、照明をより暗いものにセッティングしたうえで、ライヴがおこなわれました。




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