tamatoy project presents
Friday Night Session
日時: 2012年10月12日(金)
会場: 東京/池ノ上「現代 HIGHTS」
(東京都世田谷区北沢1-45-36)
出演: 池上秀夫(contrabass) 伊藤 匠(sax)
吉本裕美子(guitar) 秦真紀子(dance)
開場: 7:30p.m.,開演: 8:00p.m.
料金: ¥1,800+order
問合せ: TEL.&FAX 03-3469-1659
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池ノ上の北口に軒をならべる商店街のはずれで営業する「現代HIGHTS」は、半地下になった木造のレストラン兼ギャラリーなのだが、玄関口にCD販売コーナーを常設したり、持ちこみイベントによる金曜日の「Friday Night Session」を開催したりしている。吉本裕美子と秦真紀子が共同主宰する<tamatoy project>も、この場所でいくつかの即興セッションを開催してきた。現在では、2組のデュオ演奏をしたあと、全員でカルテット演奏をおこなうパターンに落ち着いているとのことである。この方法に従うと、最初に2組のデュオを考えれば、最後にカルテット演奏するメンバーは自動的に決定されることになる。ほとんど伝統的といっていい即興セッションの常套手段ではあるが、このことが、コントラバスの池上秀夫とサックスの伊藤匠をゲストに迎えた10月12日のライヴでは、おなじ「即興演奏」といっても、ミュージシャンの音楽性に大きな開きがあったため、ほとんど異種格闘技に近い組合わせで演奏することになった。なにごともやってみなくてはわからないという意味で、この種のセッションには音楽実験の側面もあると思うが、演奏を合わせる、合わせないというベーシックな約束事さえ習慣化していないため、この晩のライヴは、いささか混乱含みの展開に終始したように思う。簡単にレポートするにはハードルの高いライヴだが、できるところまでやってみることにしよう。当日の演奏は、(1)伊藤匠+秦真紀子、(2)池上秀夫+吉本裕美子、(3)全員、の順番でおこなわれた。
現代HIGHTSにはライヴ専用のステージがないため、演奏には奥の展示室があてられ、視界をさえぎる喫茶室の家具を脇にどけて、そこを客席にしていた。周知のように、演劇では、四角い額縁舞台の観客席側を「第四の壁」と呼ぶが、現代HIGHTSでは実際にある展示室のしきりをはずして客席側とつなげるため、観客はあちらの部屋の出来事をこちらで見ている感じで、感情移入がしづらくなっている。最初に秦真紀子とデュオをしたサックスの伊藤匠は、ふたつの部屋を区切る敷居のうえに椅子を置き、そこから移動しないばかりか、演奏する姿勢さえ変えずにじっとしたまま、キーをパタパタいわせる音、管に息を吹きこむだけの演奏、フレーズにならないサックス音、足もとのペットボトルを踏む音など、それがサックスでなくてもいいような音を使って、ポスト音響の地平を前提にした即興演奏をした。いうならば、音楽的でないものと思われているサウンドを意識的に使いながら、フレーズやサウンドを使う通常の即興演奏の外周を作り、そこから足を踏み外して内側に落ちてしまうことのないよう、注意深く歩いていくというような演奏になっていたのである。ステージ奥に置かれた椅子からスタートした秦真紀子は、終始一貫して、この演奏者との距離を測りかねているように見えた。というのも、共演者に近づいても、あるいは共演者から遠ざかっても、なんの変化も起こらないからである。それは伊藤が最初から彼女とは別のレイヤーを動いているからであり、彼の問題にしていたのがコミュニケーションそのものではなく、その構造だったからである。伊藤に接近した秦は、なみなみとビールのつがれた足もとのグラスを奪うと、彼に手渡しで戻すというような緊急手段に出たが、グラスを受け取った伊藤が飲み物に一口つけたのは、共演者に対する配慮というべきもので、ホッとさせる場面だった。
伊藤匠の演奏スタイルがつねにこうしたものなのかどうかわからないのだが、少なくともこのパフォーマンスにおいて、彼が通常の即興セッションを回避しているとき、秦真紀子はいったいどうすればよかったのだろう。共演者などいないかのようにふるまい、ダンスだけのための空間配分をおこない、彼女自身の衝動だけに耳を傾け、ソロ・パフォーマンスを徹底すること。逆説的だが、おそらくそのときはじめて、秦のダンスは伊藤のサウンドに触れることになったのではないかと思う。ふたつのレイヤーがどこまでも交差することなく並行していくとき、そこでなにが起こるのか、おそらくはそうした(構造的な)問いを(共同で)形作ることになったに違いない。かたや、池上秀夫と吉本裕美子のデュオは、先行したデュオが接点を見いだせなかったのに対して、最初から最後まで、まさにふたつのレイヤーが並走する状態のなかでおこなわれた。吉本のギターアンプのコンディションが悪く、特に前半はノイズに悩まされながらの演奏だったが、デュオの関係は、それぞれの判断でソロらしきもの、タイミングを合わせる部分、演奏の着地点を探すアイコンタクトなどのコミュニケーションで間合いを詰めながら、ソロと伴奏でもなければ、ひとつの音楽構造やリズムやドローンを共有するものでなく、フレーズや音色による対話でも、固有の即興スタイルの競合でもなく、どこまでいっても交差することのないふたつの平面が、まるで双子のように、おたがいを照らし出しながら進行していくというものだった。
最後のカルテット演奏は、2組のデュオ演奏のありようを解体して、新しい関係を再構築するまでにはいたらず、結果的にではあるが、この2組の関係のありようが、ひきつづいて演奏のなかに持ちこまれることになった。敷居の右側にせり出している壁のうしろに隠れ、ときおり客前にあらわれては、単音を鳴らすだけの演奏をした伊藤匠は、ここでもセッションの外側に出て、そこに別の構造をぶつけるような(作曲的)演奏をしていたし、池上秀夫と吉本裕美子はふたつのレイヤーの並行状態を(今度はややドローン気味に)持続させていたし、その両者の間を、「はないちもんめ」の遊びのように往来してダンスした秦真紀子は、壁の裏側に立つ “寡黙な” 伊藤に(なんとかステージに引き出そうとしたのだろうか?)アプローチするような具合だったからである。即興演奏の概念や方法が細分化した八幡の薮知らず状態(これはかならずしも否定的なことではない)を見るにつけても、こうした即興セッションが、特別な事前準備のいらないローテクなコミュニケーションの方法だった時代は終わったように思う。そこにダンスや舞踏の身体表現が加わることで、状況はさらに濃密に、毛細血管の先端にいたるまで、混沌の度合いを高めつつある。あっさりと「応用問題の時代」ということもできるが、すべてが流動的なため、いったいどこを軸にして出来事を受けとめたらいいのかが、次第に不透明になりつつあるように思う。そうした錯綜する環境がストレスの多いものであることはたしかなのだが、それでも起こるべきことは起こるし、のぞまれる共演は実現するということであろう。■
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